リビアに始まってエジプトへと民主化を求めるアラブの春がヨルダンの隣国シリアにも訪れていた。
アンマンのセミラミスホテルを出発するとき、シリアに行く予定であったのが国境が閉鎖されたとの情報が入ったので、イスラエルに行くことにした。
シリアに近い古代ローマ時代に栄えたジェラシュ遺跡を訪れる。
古代教会跡
アルテミス神殿だろうか丘の上に神殿が建っている。
古代の劇場で、音楽隊が演奏している。
聖書に登場するアブラハムも植えた柳を勝手に想像している。
砂漠でいかにも涼しく憩いそのものだ。
ローマ兵が駐屯していた街は古代でもこんな感じだったのだろう。
ジェラシュ遺跡から近いアジュルンの村にあるフランク人の十字軍侵攻を防いだアジュルン城でアラブの可愛いこどもたちに出会う。
城を跡にしてルート30号をとって砂漠の中にある遺跡を見に行く。
北にシリア西にイスラエル東にサウジアラビアとイラクがヨルダンと隣接している。
中東に来て始めて石油掘削現場を見た。
赤い炎が高い煙突から煙とともにあがっている。
ドライバーの案内した砂漠の中にある遺跡をたずねたが結局わからずじまい。
早々にイスラエルへ入国するためにイルビドの街に進路をとる。
案内板はアラビア文字でわからない、ドライバーは英語が苦手。
トラックの運転助手からイスラエルに行く道を教えてもらう。
ヨルダン渓谷を右に見ながら西に国道10号線を30分ほど走る。
道は南下して死海方面に向かう65号線に変わる、暫く走ると右折れすれば
イスラエルへ入国するための進入道路が現れる。
JORDAN VALLEY CROSSINGSと標識がある。
ここでドライバーと別れなければならなくなった。
この道を通行するためには免許のあるタクシーに乗りかえなくてはならない。
2㎞程先のヨルダン管理事務所に着く。
事務所に着くとひっそりとしている、イスラエルに入国する専用バスが間もなく到着するので椅子に座って待っているようにと言われる。
バスの代金20$支払チケットを購入し、ヨルダンの出国手続きをする。
出国に10ディナールが要った。
荷物をロッカーに入れバスに乗り込む。
夕日が傾き影が長くなっていた。
いよいよヨルダン出国、Good Byeの文字に胸が熱くなる。
イスラエル入国に期待が高まる。
イスラエルまでバスは500mも走らない、途中検察官がバスに乗り込んできて
バスのチケットとパスポートをチェックする。バスの下を鏡で検査する男もいる。
外では筒の長い自動拳銃を持った男が立っている。
こんなに厳重な安全検査をする入国審査に初めて出合す。
イミグレーションオフィースにつくと手荷物を持って手荷物検査場を通過する。
わたしは変圧器を入れていたので、バッグをすべて開くよう指示され厳密な調査を受けることになった。
その後パスポートコントロール、アライバルビザの14日取得。
再度出口で本人確認、やっと終わってイスラエル入国となった。
七時に入国オフィースに入ってから出てきたのは八時を過ぎていた。
エクスチェンジオフィースで398us$を1,328シケルに交換する。
さて町まで移動手段がない、すっかりあたりは夜になつている。
初めての国で闇に迎えられる。
この湖が有名なガリラヤ湖、昨夜イミグレーションから白タクで近くのホテルまで行って
宿を捜したが一軒しかホテルがなく満員。いちばん近い大きな町がティベリアという町だという。そこならホテルがたくさんあるらしい。
夜も遅く安全のためティベリアまで行くことにする。
いくらか値段を尋ねる400シェケル、シェケルの相場が解らずUS$でいくらか尋ねる。
100$という、そして着いたのがティベリアの街のAVIV HOTEL。
ホテルからでて目の前がガリラヤ湖と知った時は驚いた、ここに来たかったのだ。
ぺテロもゼベタィの子ヤコブもヨハネもみんな湖とゆかりのある人たちだ。
地図をみるとカペナウムも近い、おまけに真ん中にマグダラがある。
タクシーを雇ってカペナウムに行く。
ローマ兵が駐屯していた街のとおり、ローマ時代の遺跡が今も残っている。
ティベリアの町の中にも崩れて残った石垣がいたるところにある。
ヘロデアンティパスが総督になっていた街がチベリアだ。
アラブとはどこか印象が違って明るい感じがする。
0 件のコメント:
コメントを投稿