2012年9月28日金曜日

雅子は悠子と京都で楽しんでいます





お母さんと買い物にいって冬服買ってもらいました!ありがとー 串カツ食べて今帰りです!


ダニエルにちくわあげてね!ってお母さんからの伝言です!





2012年9月26日水曜日

朝の風景



朝にはどうか、聞かせてください・・・。という思いが・・・・。









繰り返し「生きよ」と・・・・・・・。



家族がそろって一つテーブルで朝食をいただく幸せ。







2012年9月25日火曜日

ホライズンから帰ってくる


kt36.7 bp101/74 p96 排尿1 排便0 水分30cc  入浴リハビリ午前中に。
昼食 八宝菜 主1 副2 

ホライズンへ行く目的は人生の最後に愛する夫と時間をともに過ごしてほしいから・・・・・・・・。




 

2012年9月24日月曜日

訪問看護の日




朝定食完食、水分600cc トイレで排便排尿あり。体温36.7℃




確信していいと思えることは、顔色のいいこと、生きていること、椅子の上で寛いでいること。

食べることを嫌がることつまり意思を示していること。







奥ケアーマネージャが10月の介護計画書を持ってくる。




つづいて三宅看護師が見える。
血圧102/72 酸素96 脈拍98 を計測後
聴診器で肺・腸を診察。異常なし。

 

その後採血する。





誤嚥をしだしだすと、万事窮す。



 



2012年9月23日日曜日

主の日祭りのだんじりの中


朝食をしっかりとたべて教会へ



栄子が教会に来ている


父が来ればここはホライズンのようだ。



礼拝中もぐだぐだなにやら呟いている。



尊厳は母の命を母らしく生き切るしぶとさと に現れる。




・・・あなた任せのしぶとさ。






雅子がもうすぐ悠子のところに行くので買い物をする。



懐かしい売り込みの声で少し目覚めていたが



家まで眠っている。



トイレに行きベッドへ。



私たちの食事の後に母を起こして昼ごはん。
カボチャとおまめさんと山のいもと御粥さん220g 白湯300cc



体温36.7℃










2012年9月21日金曜日

星にさへあいべつりくはありにけり 



けさ秋と合点でとぶかのべの蝶












2012年9月18日火曜日

婦人たちの口から述べ伝えられた生きたことば



母をトイレヘ、今日は目を開けて歩いているので写真を撮る。





もう食べる意欲はほとんどない。傾眠の生活。
それでも母はホライズンヘ、わたしと雅子は母を送った後
鍛冶留津宅の家の教会へ行く。



私たちが一番乗り・・・・・・・。




松田のおじさんが優しく迎えてくれる。
写真のご婦人たちが福音を携えて日本に来た宣教師たち。






アメリカから占領軍とともにきた彼女たちはアメリカの国策に乗じ日本のあたらしい国づくりの計画に知らず知らずに宣教の情熱が利用されたかも知れない、そんなことは問題にならないほど若くキリストへの情熱があふれていた。






彼女たちならずとも、イザヤはバビロン捕囚地で同朋への励ましが、パウロがイスラエル人のみならず異邦人へもイエスにある神の義を語ったことが・・・・・・・ひとにはそれが何をもたらすかはわからないのにかかわらず・・・・ 人(信仰)が口から述べ伝えられた言葉が真実、実を結ぶのです。






主はすべての計らいごとを、をも変えることができる方である。
ひとにはできないことでも神にはできるのです。






和歌山聖書教会の献堂式が婦人たちの口からのべ伝えられたみことばが今も生きて働いていることを証しています。







今わたしは
日本の戦後の復興と民主主義の発展の基礎にわたしの国にかかわった人々の愛に・・・・・・・・きづく。


2012年9月17日月曜日

あれから20年以上の年月が経っている


松田さんに悠子の第七保育園の送迎をお願いするようになった原因。





雅子にとって母の面倒を看ることは理屈に合わない。
娘を他家にお願いすることになった人がここにいる。





今日ホライズンで母と父が敬老のお祝いを祝っている。
雅子も出席している。





わたしは母がホライズンでいつも一緒の方と和歌山聖書教会の献堂開会式に出席している。





他家の協力が、私たちをキリストに出会わせてくれた。






献堂式で述べられたみことばが印象的だった。

「ひとはみな草のようで・・・・・・・・草はしおれ、花は散る。
しかし、 主のことばは、とこしえに変わることがない。」






然し・・・・・。
草のような人を愛して自らの肉を裂き血を流し、ご自身の命をわたしに与えてくれたかたをわたしは知っています、その愛と深く結び合わさって故郷の地で献堂式にいます。






1946年アメリカの宣教師がいだいたピジョン(京都から和歌山まで教会を)が今日実現しました。