2015年7月31日金曜日

大山に来て一か月になる



丸山から伯耆町におりるのは月四回、ホックへ食料の買い出しに行くときだけ。
後は丸山の大山リゾートで過ごす。




四時半ごろ明るみ始めるとひぐらし蝉と小鳥たちが鳴きだし朝のWORLD NEWSをみて六時ごろダニエルと一時間別荘地を歩く。午後六時の散歩は自転車で、大山と出雲の山並みが見える誰とも会わない農道を通りふれあいの森までゆき、一気に坂道をロイヤルホテルまで下って来る。
ダニエルは時速四十キロを余裕で越えた速さで走る。



朝の散歩の後雅子と地デジでまれをみて食事をとり、わたしは露天風呂にゆく。一年前に経験した肩鎖関節脱臼の肩を温泉でマッサージする。未だに肩の筋肉と腰や足につながっている筋肉とが治まりきらなくで具合が悪く痛みがある。
パウロの三度主にこれを取り除いてくださいと祈ったが主はあなたにはこれが恵みとなっていることを覚えるようにとの思いが与えられた場面があるが、体のあるところに起こる出来事がわたしにも主の恵みを覚える場と時であるのを自覚する。



コイノニアのホームページをみて更新された内容を読む。
柴田さんの時のしるしは面白かった。顔と顔をあわせてコイノニアの時と場を共有した方のメッセージはインターネットのバーチャルでもリアリティを持つのが解った。




同じようにバーチャルでありながら嬉しいお便りがわたしのブログに寄せられた。
ホワイトシェパードを飼っている米子にお住いのちょつとろくさんからの私たちのセカンドライフへの応援メッセージ。





辺鄙な人の通ってこない山の中の暮らしに届けられる暖かいバーチャルな声。




人はリアリティの時と出会うのはその人の体のある場所でことに出会うからと私市さんは言っていたが彼によると、こととは出来事と言葉であるが主の十字架のように出来事はそこに肉体が経験した時があるその経験の言葉が人の経験に伝わる時に真実が生れるのだ。




ちょつとろくさんの経験に一緒に暮らした犬との時が私たちの経験と重なるからだろう。キリストの死と復活も父の御力を経験したものにリアリティとして腹の底に実感する。




バアチャルか現実か区別は判断に必要のない時が身近にやってきている。
必要なことはそれが人に真実か否だ。そこに愛があるかどうかで人の現前の現れ方が異なって見えてくる。





 

2015年7月26日日曜日

主日礼拝






大山に来て四回目の主の日を迎える。




主の日に教会へ行き人に出会うのは恵み。

今は毎日朝晩に露天風呂に入り人に出会うのが恵み。





こちらに来てしたこと、毎朝晩のダニエルの散歩、雅子は食事の支度。

部屋に絵画を取り付けた。郵便受けも取り付ける。




庭の草刈、樹木の伐採。椅子のペンキ塗り。
住所移転の公的手続、インターネットワイン注文、家の掃除。
洗濯。食料の買い出し。




時々大山ロイヤルホテルで食事。
夫婦で風呂上り味どころで軽く一杯。サラリーマン時代に気分が戻る。

板前さんの腕が良く鉄火巻きとだし巻きたまごのおいしいこと。




ホテルの玄関を出ると大山が正面に見える。風呂上がりに、
いい高原の風が顔に吹いて気持ちが良い。



礼拝はまだアップされていないので、ガーデンプレイスの朝市に行った。
白なす、モロヘイヤ、枝豆。玉ねぎ、卵、青紫蘇、薄揚げ、キャベツ、カボチャ、
トマト、茄子、乾燥ごぼう、大山おこわを買った。

駐車場に陣取る露天商から焼き烏賊と焼きそばも買った。


ここに来れば教会と同様人に出会う恵みを主よりいただく。



レジ係の野菜を取り扱い方が丁寧で会計を済ますのに時間がかかる。
紫蘇まで古新聞に包んでくれる。
雅子がわたしに教えてくれた、生産農家の方が直接販売をしているので自分たちの造った野菜をとても大切にしている証と。





生産農家の証しを確かにいただきました。
このテラスはわたしの庭の手入れの証し。

森の中の風が吹き抜ける食卓に早変わり。
これから天気のいい日は昼飯はテラスでいただくようにしょう。






若葉から持ってきた花瓶。
この横に親父の観音竹もおいている。




ユーチューブが夜にはアップされているので風呂に行き、奇皇后が始まる前に
雅子とみる事にしょう。





一日が食べて寝てこのように神に愛されて過ぎてゆく。









 

2015年7月22日水曜日

大山と出雲の山並みがよく見渡せる農道



ダニエルの散歩は朝晩。






伯耆富士 大山がよく見える。



反対は出雲の山並み。










































夕暮れの散歩コース。








晩御飯を食べたくてダニエルは一目散に階段を駆け上がる。





太郎を眠らせ、 太郎の屋根に雪ふりつむ。次郎を眠らせ、次郎の屋根に雪ふりつむ。






神の創造されるすべての時は美しい。

美しい(人の賜る恵み、人との出会い、良いこと、喜び、幸せ。)


主を畏れるのは知恵の始まりとあるが主を知る恵みは、人が神を自らの知恵で見/知る己惚れとなる霊/知恵と異なり、
主を畏れる知恵は人間を慈しむ霊/聖霊だとナザレのイエスを見て尽くづく思う。

見る前に人の現前に神が現れている、すでにだれかれなしに神に愛された者、永遠の命に招き入れられている。






 

2015年7月21日火曜日

郵便ポストとロイヤルホテル



ダニエルと散歩の途中で呼びかけるひとがいる。

あらまあお久しぶり。




休暇のために帰宅している。

いつものようにランニングコースを走っているのだそうで



こんな辺鄙な山の中で出会うとは、大山と出雲の山並みがよく見渡せる農道で出会う。

昨夜どこにも仲間がいない蛍が
網戸に一匹で発光していた。

暫くして光りながら飛び立って森の闇に消えていった。




出会いは人に贈られた奇跡だ。

雅子と二人で森の中に郵便ポストを取り付けた。



台風が過ぎ去って皆生トライアスロンレースがありガーデンプレイスあたりが、レース応援で賑やかになる。

宅急便の方がここまでたどり着くのに相当待たされたと私に愚痴をこぼしていた。




ロイヤルホテルも夏休み初日の三連休で急に賑やかになる。
ロビーは楽しそうな顔であふれ久しぶりにひとの喜ぶ姿を満喫する。




いつもの静まった森の中が一変する、森に灯りがともり駐車場に車が留まっており、
家族の楽しい声が散歩道まで漏れて来る。




通りで人と出会う。

お隣の夫婦がテラスデッキでシャンぺーンを冷やして寛いでいる。








ホテルの職員も丁寧に応対して笑みが見える。









森の中からバーベキュウのにおいが談笑とともにする。



子どもたちのはしゃぐ声がリゾートに響き幸せとよく似合う。





ダニエルといつもの散歩道を通って帰る。



休暇が終わると普段になる。



すべってころんで山がひっそり
山頭火の詩歌に出会うのです。




現実は山頭火のリアリティとは少し異なる。





普段の幸せと喜びの食事。
ワインも二人の食事に伴ってある。
ここ大山の森はひっそりではなく鳥たちの声が一日中している。







さぬきの麺で冷やしうどんを大根おろしと青ねぎと鰹節をぶっかけ京風の鰹だし汁
でいただく。

愛し合う夫婦にはすべてに打ち勝つ力がある。という言葉は真実です。





神はこのように、人をご自身のかたちに創造された。神のかたちに彼を創造し、男と女とに彼らを創造された。