2012年2月28日火曜日

若い身空で自ら命を絶つことはしてはいけない

84歳の脳内出血の命はのこり、自ら絶望した若い命は今日母より先に逝った。







ユダの罪はイエスを裏切ったことではない。
すでにユダはイエスにあなたはわたしを裏切ります、と言われています。




問題は別にあるとイエスは指摘する。


ペテロにもあなたは今日鶏が鳴くまでに三度わたしを知らないと言うと、宣言しています。




イエスにとって問題は裏切りにあるのではなく、イエスに信頼し弱さから立ち直って同朋をいたわるものになれるかどうかにある。







絶望して死ぬことはおのれには忠実でも。(イエス)他者には裏切りです。




ユダの裏切りはこのことです。ユダにつながる人にも同じことが言えます。




闇の中にいる自分に忠実にならないで、むしろ、自分に絶望してイエス(他者)に語って欲しいと思います。







いのちは、イエス(他者)におのれを開くか否かにかかっている。



















2012年2月27日月曜日

別荘から便りが届く



松幹が雪の影響で母屋側の幹が裂けている状況です。 写真でもおわかりになられるかとは思いますが、万一折れたとしても母屋・道路・電線側に倒れず恐らく
階段方向に倒れるのではないかと想像します。(自然の事ですので100%ではないですが)
ご報告と思い昨日メールいたしました。
お母様の一刻でも早いご快復をお祈りいたします。
大和ハウス工業株式会社  山陰支店     

 森林住宅営業所



いつもお世話になります。
写真で見る別荘は雪の中に在ります。
自然の中で暮らすには当然いろいろあります。べっだん驚くことではないのですが、

去年のように、大きな地すべりなどは、できたら起こって欲しくありません。


そういっても相手は自然、起こったことにどのように対応するか、
こちらの方に一生懸命になる以外ないのがわかっています。

そのような中で大山の別荘管理事務所は私たちには心強い母の主治医のようです。
お便り感謝しております。

今は私は母の方に一生懸命、春五月に大山へと思っていますが、
いけたらいいのですが、母の体調と気候しだいです。

25度ぐらいなら行きます。

皆様のご健康を祈願します。



2012年2月26日日曜日

主日礼拝




2012年2月26日主日礼拝
使徒の働き21章17~26
貝塚聖書教会池尻牧師の説教要旨
パウロがエルサレムに着きヤコブを訪問し異邦人にも神はユダヤ人と区別なく聖霊が与えられることを告げる。
ユダヤの律法を重んじる人々とともに、律法のないものにも神は等しく臨まれるのにはイエスを主とする者にとって
当然の帰結なのだが、古いイスラエルの律法主義に陥っているものたちからはイスラエルの律法に反する許しがたい行為と見える。
そこで、ヤコブはユダヤ人とパウロの間に入って騒ぎを起こさないように工夫する。牧師は誤魔化し小細工と表現。
パウロは立法を重んじることをエルサレムのクリスチャンにわからせるために先祖の慣習を行う人たちの、財政的支援者になり、律法を重んじる敬虔な人であることを演技してもらいたいと言うヤコブの申し出を聞き入れる。




結論として、パウロはなぜそうしたのかわからないが、神を信じる者とは真理を愛するものである。
そういうところから考えて、当然、真正面から神を証すべきことであるにも関わらす、真理に従う苦い経験を当然しなければならない時に、はぐらかすことは後々とんでもないことになる。
信仰者は真理の前に苦しい選択するときに信仰が試される。




牧師は冒頭、国家君が代の法制化で、君が代斉唱の時苦しい選択を迫られるクリスチャンについて心を寄せていた。







      私の反論
真理は人にはなくイエスとともにかかわりの日々にイエスが道であり真理であると示される真実がある。
それは、一人ではなく他者が必ずかかわっている。少なくともイエスがいる。
だれも最初から真理を理解して行為しているのではなく、時と場所、人々の思いによって違って見えるのは、その時その場で人びとの前に立たれるイエスを賛美するためである。
牧師の真理はユダヤ人の立法に呪縛されているようなもので、すでに既存の真理に隷属している。
牧師はイエスは人を自由にし、平和を実現されることを知っているはずだ。
人にはできないことでもイエスには不可能なことはない。



つまり人にはできないことがあるが、神が実現させてくださることを語ってはいない。




人はだれも自分の道は真っ直ぐで正しいと思うが、道を真っ直ぐにするのは神です。
牧師が言っているように
なぜパウロはそうしたのかわからないのではなく、パウロの言葉にある。
私はユダヤ人にはユダヤ人のようになり、ギリシャ人にはギリシャ人のようになって一人でもイエスキリストを述べ伝いたいのだ。
是が真理です。
パウロは人と人の間で神をイエス(真理)を賛美しているのです。




私はいつも思っていることがあります。
イエスの十字架は人の不完全を決定づけお互い主に購われている。




贖われた者同士不完全を担い合うことが必要。なんとか工夫して暮らすことが大切。
不完全なものに真理は、神(自分意外なもの=他者)から糺され示される。
それゆえ己の中で真理とする者は既に腐敗する。
真理はなまものです。

2012年2月23日木曜日

死海













私は今イスラエルにいる。対岸はヨルダン。




ここより上はイスラエル側の、下はヨルダン側の死海。








私は今ヨルダンにいる。対岸がイスラエル。





ヨルダン川がそそぎこむ。ヨルダン川を境に国境がある。


ヨシュア記にヨルダン川を渡るシーンがある。ルベン、ガド、マナセの半部族はヨルダン川東岸に定住した現在のヨルダンにいる。わたしがみたアラブとイスラエルの間の親近の戦いは同じ地に横たわっている苦い水を吐き出すところのない死海のようだ。



それにしても、わたしはイスラエル側にもヨルダン側にも自由に自分の意思でゆくことができる。なんと素晴らしい国に生まれたのだろう。神に感謝した。











マサダ

マサダに行ってみたかった、自由について知りたかったからだ。






唯一の真にして義である神ご自身以外の何人の召使いにもならない。






そう決意して生きた人達がマサダで生活していた。












こんな過酷なところで、





































自由を生きた人たちの望みを知る。
逆に神が人々のしもべとなられたら、人の決意は違ったものになったのだろうか。







わたしたちは希望は失望に終わることがないことを知っているのです 。
 
















2012年2月22日水曜日

オリーブ山からエルサレム





オリーブ山からエルサレムの都の眺め



オリーブやまからゲッセマネに下ってゆく道




ゲッセマネのオリーブ畑






使徒行伝1章6節-12節 

そこで、彼らは、いっしょに集まったとき、イエスにこう尋ねた。「主よ。今こそ、イスラエルのために国を再興してくださるのですか。」



イエスは言われた。「いつとか、どんなときとかいうことは、あなたがたは知らなくてもよいのです。それは、父がご自分の権威をもってお定めになっています。



しかし、聖霊があなたがたの上に臨まれるとき、あなたがたは力を受けます。そして、エルサレム、ユダヤとサマリヤの全土、および地の果てにまで、わたしの証人となります。」



こう言ってから、イエスは彼らが見ている間に上げられ、雲に包まれて、見えなくなられた。



イエスが上って行かれるとき、弟子たちは天を見つめていた。すると、見よ、白い衣を着た人がふたり、彼らのそばに立っていた。



そして、こう言った。「ガリラヤの人たち。なぜ天を見上げて立っているのですか。あなたがたを離れて天に上げられたこのイエスは、天に上って行かれるのをあなたがたが見たときと同じ有様で、またおいでになります。」


そこで、彼らはオリーブという山からエルサレムに帰った。この山はエルサレムの近くにあって、安息日の道のりほどの距離であった。





わたしはイエスが昇天した場所とは知らずそこに五日もいた。

わたしの人生でこのようなことがたくさんある。

母との暮らしもこのようにして実現した。


自分でどうのこうのしようとしてもすんなりいかないのに、
なにも気付かないのにきっちりと実現している。

御言葉は真実です。
聖霊があなたがたの上に臨まれるとき、あなたがたは力を受けます。







2012年2月21日火曜日

覚醒した母の真実


ピーシャラピーシャラ踊るポン凹リン











思うようにならず悲しくて切なくて雅子にすがる。









台所にまで追いかけてゆく。








ダニエルも調子よく入ってゆく。ダニはアカンの声にしぶしぶ










留津さん宅の家庭集会に参加

あなたが水の中を過ぎるときも、わたしはあなたとともにおり、川を渡るときも、あなたは押し流されない。

留津さんが母に贈つてくれたみことば。


























新約聖書中には、ルカという名前がパウロの書簡に協力者として現れる(『フィレモンへの手紙』24、『テモテへの手紙2』4:11、『コロサイ人への手紙』4:14)。





『コロサイ書』には「愛する医者ルカ」とあり、ここから福音記者ルカの職業は伝統的に医者であると信じられてきた







パウロに寄り添ったルカの人物像から、説教が始まる。







聖書誕生にはこのように寄り添った人達がいる。

イエスに寄り添ったガリラヤの人たち。パウロに寄り添ったルカ。


現在でも、人のそばには人が寄り添っている。

そして素晴らしいものが誕生している。





賛美の歌を歌ってから、みなでオリーブ山へ出かけて行った。





使徒行伝』には、パウロのいくつかの宣教旅行に「わたしたち」とする記述があり、ルカが筆者であれば、ルカはパウロの最初のマケドニア宣教およびマケドニアからエルサレムへの旅行またエルサレムからローマへの護送に付き添っていたことになる。またこの記述からは、ルカは小アジアのトロアスになにかしら深い関係があったようである。









2012年2月20日月曜日

訪問看護



ハートメインの訪問看護を心待ちにしている。



今日はいとうまもる診療所の訪問診療も受ける。



体温が37.5℃あるので、今夜は注意がいる。