2022年8月28日日曜日

平和を別のことばで表すならば共存

ヨナ書から平和を考える


主は仰せられた。「あなたは、自分で骨折らず、育てもせず、一夜で生え、一夜で滅びたこのとうごまを惜しんでいる。
まして、わたしは、大きな町ニネベを惜しまないでいられようか。そこには、右も左もわきまえない十二万以上の人間と、数多くの家畜とがいるではないか。」


参考、ニネベとヨナとの関係を思い描くとき平和の神の思いが聖書に記されている。
平和שָׁלוֹםを愛する人々に栄光あれ、神の祝福がありますように。


シヤロームについて。ニネべに行けと神はヨナにお命じになった。
神様の宣教命令。わたしたちにもニネべへ行けと言われている。
敵対するものの敵についてイエス様が言われたみ言葉がニネべに行けだったのだと気づきました。
あなたの敵を愛しなさい。あなたの敵ともシャロームを持ちなさい。
そのためにヨナが宣教によって成長したように私たちもニネべに行くことで今以上に成長できる。敵をつくるのではなく平和をつくる人になれますように。シャローム



個人の自由がキリストの御霊によって時を超えて人々にありますように、個人の自由が他の人の自由を棄損しないようにキリストの満ち満ちた身丈まで私たちが成長できますようにキリストの御霊を個人に与えてくださる神を褒めたたえられますように。アーメン




2022年8月25日木曜日

マウントビューの中秋の名月の観月会を楽しみにしている

 

岸田首相はなにを国民にしたいのか見えてこない。
カルト宗教と政治との関係を清算できなく、政治改革というそんな気概がないように見える。

コロナウイルス蔓延のままにしてなお国民の命の危機を増やし、自然エネルギー政策から原子力発電に政策を転換した。財政の破綻を予期しても国防予算の増大を厭わなく野放図のまま。反対に教育や福祉予算の切りつめを容赦なく行おうとしている。
赤字国債をさらに発行しそのうえ経団連の要望に沿って消費税を上げようと企んでいるのではないかと思えるほど政治には方針がなく場当たりだ。

この政権は国民のための政治を行っているのか、かえって国民の公共福利を破滅させようとしているのではないかと訝っている。昨今の状況により明白になりつつある。

Chateau de Parenchere Cuvee Raphael 2015

臨時国会の招集拒否をしてる岸田さんの言い訳



国会を開き、国民のために外国勢力の日本社会に及ぼす問題を早急に議論ができないのか、
日本の政治の不自然さが長期にわたり、そのうえ嘘を平気でつき、改ざんを繰り返す安倍政権以来の悪事が踏襲して国民が弱り果てている。一刻も早く自民党を解散して政治を一新しなければならない。





2022年8月23日火曜日

夫婦の日の味処和食パーティ















DOMAINE Carrette 2020 POUILLY-FUISSE

















2022年8月21日日曜日

2022年8月14日日曜日

主日礼拝

 平和=鳩=聖霊=ヨナ=イエスの語る救い、あなたたちへのしるし


昨日、コイノニア会がありコリント手紙第一6章を語り合った。


そして議論は白熱した、核の傘(アメリカの軍事力)に頼る国防と日本国憲法の地上の平和を愛する人々との信義による防衛とどちらがおとぎ話でありどちらが現実的(リアリテイ真実)であるのか。ウクライナを核によって脅しながら侵略するロシアを核大国のアメリカが本当にロシアの進行を核を使って阻止することができるのか。答えは否。それでは台湾有事の時の中国に対してはどうだろう。

安全保障と平和についての違いはある特定の少数者の安全から不特定の多くの人の安全を考える思弁思慮思考の大きさ、友愛としての包容の度量の大きさにある。

平和は忍耐強く賢く謙虚になり他者と和解のために努力すること蛇のように賢く鳩のように優しく他者との関係に知力と忍耐をもってあたることによってしか得られない。対極の傲慢で短気で思慮に欠ける怒りという手っ取り早い解決策である絶交断絶という境界線(敵)を自ら設けて排除しないことにある。

結局国連において地上に生きる同輩として大いに核兵器廃絶を議論して平和を目指す以外に道はない。さあ来たれ論じ合おうと主は仰せられる。たといあなた方の罪は緋のように赤くても雪のように白くなる。


民主主義社会は人々は互いに論じ合うことをあきらめてはならない。
公共の場で私の目には高価で貴いひとりひとり個人がイエスの(真理)の霊に満たされて
自由に共によりよく生きてゆくためにそれどれ不十分ながら意見を述べることによる。やがて時がいたり創造主がイエスを死人の中から復活させられたように人々の前に(永遠のいのちである公共に)人々のいのちである平和を、現在までの歴史が私たちに証ししているように新しいComon共通のSense認識として(復活)させてくださると信じています。

人々の自由で平和な暮らしの実現は偶像礼拝(傲慢な人間の作った権力や能力の産物である核兵器や軍事力、国力である財政、人々の自由を強制的に奪い政治を行う専制国家権力)にはありません。
聖書にあるように権力によらず、能力によらず、わたしの霊によって(個人の自由が誰の自由も損なわない)平和を日常に実現させるのはナザレのイエスの聖霊との管鮑の交わりによるのです。


敵を愛しあなたを迫害するもののために祈りなさい。悠子たちから贈り物が届く。