2013年4月22日月曜日

嬉しいこと


雅子は悠子のところに、わたしとダニエルトは母と若葉で守番。
留津さんが母のために聖書を持って賛美と祈りを主に捧げるために訪ねてくれる。






栄子から電話が入って、池尻牧師と山里牧師が父を見舞いに来てくれたと連絡がありました。

私は、留津さんからすでに聞いていたので驚きはしませんでしたが、 

栄子が嬉しそうに私に連絡してくることに驚きました。本当にうれしいことのように私に
 
連絡してくれました。

 

人は、感動するのは、そして知らせたくなるのはこういうことでしよう。

 

あなたの信仰があなたを救ったとイエスがおっしゃっているようです。

 

栄子にも神の憐みが届いているのを感謝しています。


 




悠子からも、連絡が入る。





お母さんが無事到着してます!!

これからごはん。

今タケノコを茹でてもらってます。





 
留津さんへ

いろいろご配慮いただきましてありがとうございます。

イエスに声をかけてもらっているひとのように

留津さんの

優しい気持ちが伝わってきて涙があふれてきます。

悠子から便りが来ました。雅子も元気にしているようです。









 

2013年4月19日金曜日

嵩山少林寺




嵩山の少室山の北麓にある寺が嵩山少林寺
 































少林寺武術として有名。


















禅の発祥の地と伝えられ、中国禅の名刹でもある。








「皇唐嵩岳少林寺碑」、「唐太宗御書碑」があるらしいが、
碑文が多くどれだか分らなかった。















































創建は496年孝文帝(北魏の孝文帝鮮卑拓跋部の中心氏族
漢化政策と三長制を行う)が西域沙門の仏陀禅師の住寺として、
少室山陰に建立したとされる。




この寺に壁に面し9年座り続けた達磨がいる。
雪舟の有名な人物画に「慧可断臂図」があるがその慧可もこの寺にいる。





最も古い菩提達磨への言及は撫軍府司馬楊衒之撰『洛陽伽藍記』(547年)にあり、全ての達磨伝説はここに始まるともいわれている。












 

嵩陽書院



北魏代484年。嵩山南麓に嵩陽寺として建立。
 


   
 
隋代(605~618)に道教寺院嵩陽観
 




 

宋代(1035)嵩陽書院に。
 





大唐嵩陽観紀聖徳感応頌碑


撰文は李林甫、書者は徐浩

 
 

 李林甫は唐玄宗朝の宰相、玄宗(げんそう)は、唐の第9代の皇帝。

唐の絶頂期を迎えたが、楊貴妃を寵愛したことで安史の乱の原因を作った。



この碑文は唐時代からのもの、徐浩は唐代の書家で紹興の人。




相当な時代物で圧倒されたがまだ驚くことがある。



境内には樹齢4500年の前漢の武帝から賜った将軍柏がある。





 


学問の府らしい雰囲気、書院は塾を意味する。












































会善寺へ続いている。