2018年10月28日日曜日

大山の森は最低気温10℃を迎える

 
雅子と伯耆町ふれあい祭りに参加する、
 
花帆ちゃん忍者のように壁に張り付いています。
 
 
 
 

悠子たちは筑後川のコスモスを楽しんでいます。




安息日の人の喜び、感謝が溢れて来る。












わたしたちはふれあい祭りで鯛と蟹を買ってくる。


雅子は鯛を二枚におろしてます。


鯛二枚五百円、蟹一枚二千円。


金魚の池の観音竹は、



外気温が10℃をくだる頃には部屋に戻さなければならない。


大山の森は冬シフトになる。







2018年10月27日土曜日

ふれあい祭りのチケットを求めてガーデンプレイスまでゆく


日あたりのいい森の秋に誘われて雅子とふれあい祭りの前売り券を買うために
ガーデンプレイスまで散歩に出る。



ハロウィンのじきに、地元で収穫した農林水産物の販売や、地域の人たちとの交流を通じ伯耆町の魅力を創造する恒例行事。











































ことし伯耆町が散歩道に灯を設置してくれて夜も明るくなりました。
























ダニエルが水浴びした散歩コース。


































ジャック・オー・ランタンが目に入って来る。






今日京都コイノニア会が催されてわたしはアメリカにいるボストンとアリゾナ、カナダのバンクーバー、京都の会場の人々と結ばれて主を賛美する。
私市氏はこれから霊についてお話しますが、その霊は共同体の霊であって個人の霊ではありません。複数の人が共通に仰ぐ霊性のことです。わたしは、


創世記にある神である主は土地のちりで人を形造り、その鼻にいのちの息を吹き込まれた。そこで人は生きものとなった。人間の創造と似ていると思った。




神は自分のかたちに人を創造された。







神は自分のかたちに人を創造された。
すなわち、神のかたちに創造し、男と女とに創造された。


『私たちが見るものを、やはり同じように見、私たちが聞くものを、やはり同じように聞く(隣人)他人が存在するおかげ』で、現実が現実として把握される。


『物(十字架)の周りに集まった人びとが、自分たちは同一のものをまったく多様に見ているということを知っている場合』にのみ世界のリアリティーが現れる。
(隣人)(十字架)は筆者の加筆 ハンナ・アーレントより



創造の初めから人間は個人で生きると同時に他者と繋がって生きるように造られている。
複数性(愛)を持っている。



つまり出来事や事実はさまざまな角度からの物の見方によって成り立っている。
私たちの現実は、そうした複数の観点をもつ隣人によって保証される。
よき隣人が創造の初めから私たちに与えられる。






 







 活動によって人は、生存の必要や有用性といった利害関心を超えて、他者に対して自己を開くことができる。
しかも、利害関心に囚われた閉鎖的な自己の打破を可能にする活動は、世間と隔絶され、孤独な個人の内部においてではなく、他者の「現前」において、また他者への「開かれ」においてなされる行為である。    ハンナ・アーレント





わたしは活動は主ヘの祈りに似ていると思った。


雅子はすっかり足が良くなっている。