2013年5月1日水曜日

約束の誠



悠子が帰ってくるというので、ダニエルを久しぶりに洗った。





主の日に京都のコイノニアに行った。
奥さんとデザイナーが居なかった。代わりにあたらしい宝塚の人が見えた。

聖書にヨハネが私たちに従わないのでやめさせようとした。
すると、イエスはやめさせてはいけない

わたしたちに逆らわないものはわたしたちの味方、だと・・・。
マルコ



あなたがたに逆らわないものはあなたがたの味方。
ルカ


イエスはまた味方しないものはわたしに敵対するとも言っています。
マタイ12-30 ルカ11-23




御霊は何を望んでいるのでしょう。
十字架のイエスは私たちに何を語っているのでしょう。





キリストの聖霊を受けたものは、暮らしの中で隣人に味方になってもらえるようにしなさいといっているように思える。

心を尽くし思いを尽くし知力を尽くして他者とコミニケーションをとるようにと
願っているようにわたしには思える。




脳内出血で前頭葉と側頭葉を壊してなお認知症を患っている母でさえ
母ゆえにわたしにはコミニケーションがとれる。

教会の牧師に母を受洗をさせたいと申し出ると彼は、母に聖書さえ語らなかった。
留津さんは母のために祈ってくれたが彼は祈りにすら訪れなかった。






誰が救われるのか人が決めることではない、牧師は御言葉を語るのを職業としている日曜日に教会の中で御言葉を語ることと同じように日常で他者に御言葉を語ることと区別してはいけないのではないかとわたしは思っている。
自分を理解してくれるものだけではなく、理解の及ばない者へも御言葉を取り次ぐことを試みようとするのがイエスの霊を受けたものの姿だ。




わたしはなお言い続けようどこでもだれにでもナザレのイエスの御言葉を語る必要のあることを。






私に与えられた現実を通じて主の誠を知ることは喜びです。
母の現実を通じてイエスはどのように永遠の命を与えてくれるのか
わたしの目を開いて(見る)診つづけることが肝心なのを知りました。





悠子は約束していたのに、帰りがけに仕事の仲間の人たちに誘われて
夕ご飯を一緒にとったために帰れなくなったようだ。
明日朝一番で帰るとの連絡が入る。




約束したことをきちんと行うことは人には難しい、それ故
感謝なことです約束をたがわず行われることは。
約束を信じて人生を歩む人はそれだけで信頼できます。




ビリージョエルの歌、オネスティは、
とても美しくてわたしの好きな曲です。




 

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