2012年11月29日木曜日

ザアカイ



イエスは彼に言われた、
「きょう、救がこの家にきた。
この人もアブラハムの子なのだから。     
人の子がきたのは、
失われたものを尋ね出して救うためである。」



取税人の背景
ローマの属国では地租と
人頭税はローマの役人が取り立て、
領地を出入りする物品税の
関税の取り立ては、
現地人に請け負わせてた。

失われた者
 

他者とつながりが持てず
他者の支えのないもの
完全のための欠けたもの⇔
完全のためになくてはならないもの
共同体から離されたもの 
⇔ 神から絶たれたもの 
 


"汚れた者、汚れた者"と呼ばわらねばならない。
その症状がある限り、
その人は汚れている。
その人は独りで宿営の外に住まねばならない」
(レビ記13・45、46)

ザアカイ(英語:Zacchaeus)は
新約聖書のルカの福音書19章に登場する人物で、
税の取り立て人ある。
名前の由来は、「義人」「きよい人」を表す、
ヘブル語のゼカリヤの短縮形である。


イエスは彼に言われた、
「きょう、救がこの家にきた。
この人もアブラハムの子なのだから。 
     人の子がきたのは、
失われたものを尋ね出して救うためである。」
 





イエスの語った救い
共同体形成の回復
人間の尊厳の回復

写真は懐かしい貝塚聖書教会の献堂式とザアカイの人形劇



エクレシア
(教会)のギリシャ語源。
 
人々の自由意志によって集まる人々のこと。
イエスのみ名を呼ぶ者が集う(コイノニア)交流のこと。

そこには、

ザアカイのように失っている者たちがいる。
不完全なものたちの姿とであえる。


 
 
共同体形成になくてはならない人々の集まり。

今いる自分の場所から、イエスに
(泊まることにしているからと呼びかけられて)供応する人々の集まり。














 

2012年11月27日火曜日

カイロス


 ギリシャ語で時間を意味する言葉に、クロノスとカイロスとがある。




クロノス時間とは、過去から未来へと一定速度. 一定方向で流れる物理的時間、 カイロス時間とは、速度が変わったり繰り返したり. 逆流したり止まったりする、人間の内面を流れる意味的時間をいいます。



コイノニア会に出席したとき私市氏はカイロスを生きることはことを生きること(あなたの出来事と言葉)を生きることと表現していました。






カイロスを生きるとは自分の体のある場所を生きることです。
その人の今を生きるのです。それ以外どこにもありません。





天の下では、何事にも定まった時期があり、. すべての営みには時がある

イエスの十字架をどのように理解したらいいのか。




コイノニア会から自宅へ帰る間ずっと思いをめぐらせていた。




アンナハーレントが頭を離れない。




「喜びと満足とが生まれるのは、自分たちの仲間と
交わることからであり、活動を共にし公的な場に出て、
言葉と行為とによって自分たちを世界の中へと引き入れる
共同作業を通じてである。
そうすることにより人は自分たちの人格的
アイデンティティーを獲得し、
全面的に新たなることを開始する」
(ハンナ=アーレント『Between Past and Future』)



 



カイロスは、万人に現れていることによって保証されている。



十字架の立つ場所カイロスは公的の場所

だれからもみられる場所だれからも聞かれる場所
だれもが自由に語る場所
 



公共性とはこのように多様な他者のカイロスを十字架に
(イエスの出来事に)
釘付けされることではないかと考えてしまう。




多様な他者がイエスの十字架(神の開示)をみており、
それぞれのカイロスを心に刻む。
出来事が多様な人々のことばとなりイエスの復活を
公言したのだ。




それぞれが自分のカイロス(時)を生きている。




然し時を孤独にしておいてはいけない。
つまり他者によって意味付けがなされ承認されないと死んだままだ。





わたしは母の介護で自覚していることがあります。
母は必ず死ぬということです。
母の死ぬカイロスに死を越えて生きるイエスの命を見出したいのです。






 

2012年11月13日火曜日

雅子は京都へ母親はホライズンヘ


打撲傷、大事に至らなくて良かったです。訪問看護師よりメールがある。
 



守られている幸運。




満ち溢れてくる感謝の気持ちは、病気になって古い友のことが同じ病気で亡くなったのが私には友の励ましのように思えると池尻牧師が説教で語っていました。




雅子は今日から京都に行きます。



私たちはキリストのうち傷によって癒された。
そうです御霊にあるキリストが私たちに語りかけてきます。

教会は、御霊の交流の集い、神の民の新しい神の創造を知る集い。





2012年11月12日月曜日

訪問診療


 トイレの介護で失敗して右のまぶたの上を切る。



目を離したすきにトイレから倒れてしまい血を流した。




介護は命に繋がっています。もっと真剣に。肝に銘じます。




いとうまもる医師の訪問診療により、




意識に変化なく脳内変化を伴っていないと思われます。


皮下血腫は、青くなり10日ぐらいで下降しながら治ってきます。

心配は特に入りません。  




安心しました。



2012年11月8日木曜日

イエスは神の呪いを神の祝福へかえる救い主


(申命記 31章 16節 ~18節)


 主はモーセに言われた。「あなたは間もなく先祖と共に眠る。するとこの民は直ちに、入って行く土地で、その中の外国の神々を求めて姦淫を行い、わたしを捨てて、わたしが民と結んだ契約を破るであろう。その日、この民に対してわたしの怒りは燃え、わたしは彼らを捨て、わたしの顔を隠す。民は焼き尽くされることになり、多くの災いと苦難に襲われる。その日民は、『これらの災いに襲われるのは、わたしのうちに神がおられないからではないか』と言う。わたしはそれでも、その日、必ずわたしの顔を隠す。彼らが他の神々に向かうことにより行ったすべての悪のゆえである。



主はモーセに言われた。「これがあなたの子孫に与えるとわたしがアブラハム、イサク、ヤコブに誓った土地である。




こうしてヨルダン川を渡るが、約束の地には主がモーセに語られた(約束)律法も一緒に携えて入ってゆく。




わたしは、ヨルダン川の東の荒野で洗礼者ヨハネが水のバプテスマをユダヤの人々に授けていたのがこの辺りであるのを知っていた。




マタイ3:11
 私は、あなたがたが悔い改めるために、水のバプテスマを授けていますが、私のあとから来られる方は、私よりもさらにちからのある方です。

    その方は、あなたがたに聖霊と火とのバプテスマをお授けになります。




マルコ1章にも
バプテスマのヨハネが荒野に現れて、罪のゆるしを得させる悔改めのバプテスマを宣べ伝えていた。



 そこで、ユダヤ全土とエルサレムの全住民とが、彼のもとにぞくぞくと出て行って、自分の罪を告白し、ヨルダン川でヨハネからバプテスマを受けた



イエスもヨハネからバプテスマを受けている。





洗礼者ヨハネはらくだの毛で織った物を着て、腰に皮の帯を締め、いなごと野蜜を食べていた。洗礼を受けるひとびとは彼をエリヤだと思っていた。



 当時のひとびとは終末にエリアが現れ、人々を神の怒りから救い出してくれると信じていた。そのために罪の悔い改めの洗礼を受けみ怒りに備えるためであった。



当時は身を清めるために教団で修行をしたのち自らの手で水で罪を何回も清める習わしであった、それに比べ他者から簡単に悔い改めのバプテスマを受けることができ、それも一回限りでいいとするヨハネのバプテスマは人気があっただろうということを聞いたことがある。


 ローマに征服されつつあることから当時終末思想がイスラエルに蔓延していた。エリヤがきて御国をたてなおしてくれるだろう、主に逆らうく者たちは火で焼きつくされる。私たちはモーセの律法がある神の民。神は憐れんでくださる。罪を悔い改め来たるべき日に備えるようとしてヨハネのバプテスマに臨んだのだろう。





ハプテスマの ヨハネはヨルダン川の東でバプテスマを施しているのは、民を導くのはヨルダン川まで、ヨルダン川を渡り約束の地に入るに、モーセがヨルダン川を渡って行けなかったように、ヨハネは御民イスラエルを罪の悔い改めまでは導いても神の御怒り(呪い)を除き祝福に与わるように御民を変える賜物は持ち合わせていなかった。
後に来る方メシアにそれを託したのだろう。



ある人はわたしに語ってくれた、終末は天変地異が現れ私たちはそう判断するのだと思っているだろうが、そうではない一人の人の現れることがそれなのだ。




終末は終わりの時、歴史そのものの目的で、既に始まっていて今も続行中である。


 
 
洗礼者ヨハネの後に来たイエスは神の呪いを取り除く子羊。
 
不完全な人を赦しなお互いに不十分な姿のままで愛し合うことを
御霊によって促がし、ご自身の聖い血で清めて祝福に与かるものとしてくださいました。
 
 
 
 
 
 

2012年11月6日火曜日

平安の都エルサレム



エルサレムとともに喜べ。
すべてこれを愛する者よ。これとともに楽しめ。
すべてこれのために悲しむものよ。
これとともに喜び喜べ。



永遠の愛をもって、わたしはあなたを愛した。
それゆえ、わたしはあなたに、誠実を尽くし続けた。








しいたげられた者たちを自由の身とし、すべてのくびきを砕く





あなたの義はあなたの前に進み、主の栄光が、あなたのしんがりとなられる。