2015年8月9日日曜日

大山イエス之御霊教会で聖餐式に与る



土曜の夜、雅子と風呂に行きテレビをつけると。
中海テレビは第42回米子がいな祭り万灯パレードを中継している。



がいなとは鳥取方言で大きなとか素晴らしい偉大さを込めた好意的な印象を表す言葉。
ガイナーレ鳥取はこんな言葉から名づけられたのだろう。




参加者に女性も目に付く。
米子ガス、鳥取医大、県職員組合など地域のボランティア団体で運営されている祭り。



そして、今日は家から一番近い教会へ雅子と行く。




車をガーデンプレイスに留めて、



午前10時前に教会に到着する。




牧師は三原の母教会から三年前引っ越してこられたとおっしゃっていた。

それまでは東京とケニアでも過ごされて宣教活動をされていた。ともお話を伺う。




礼拝は純粋でまったく御霊に導かれた主の御霊の御臨在を感じる力強い異言で祈る礼拝に終始していた。

途中私は思わず口を挟んだ。


千の異言より五つの理性の言葉、人に通じる言葉で教会は主の御霊を語ることを私は希望しています。

なぜなら御霊は個人に与えられ証しされますが、決して個人の中で満足するためのものではありません。人とともに交わり共有することをイエスの御霊が求めておられるからです。


教会は公空間でそこに自分以外の他者がいます。ペンテコステの時の聖徒たちの言葉は酔っているようにある人には見えたがある人には自分の国の言葉で語っていることが理解できた。つまりよく理解できる言葉でもあったのです。御霊は個人に異言を呼び起こしますが教会では他の人の徳を育てるように、理性の言葉でもすなわち預言の言葉で語ることを私はパウロとともに望んでいます。



聖餐式を共にして久しぶりにクリスチャンと交わりに喜びを得て、
雅子とガーデンプレイスで野菜を買って自宅に帰って来る。



 

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