ダニエルと散歩して雅子と朝食をいただき、
大山ロイヤルホテルの温泉に行く。
蝉がなき
鳥たちがさえずり、
子どもたちが喜びの声で親を呼んでいる。
いつも繰り返されるホテルの朝。
ロビバーの前を抜け、朝の挨拶をして、
階段を下り大山ロイヤルホテル温泉に到着。
ここでもいつもの挨拶をかわす。
ごゆっくりぞうど。おおきに。
昨夜木岡さんと話したように私自身、お客さんの立場は本来の立場ではない。ホテルでは私は、キリストにお会いする立ち位置が随分相違しているのが解る。
人と人と接する位置が神の御前の位置ではない。
雅子の知らない私の寂しさがここにある。
午前10時までなので遅くれて来た私ひとりの入浴となる。
大山乗馬倶楽部が近くにある。
八十五㎏あった体重が今は77㎏をわずかに切るまでになった。
FRTの古田さんはわたしに馬のために体重を減らすようによく言っていた。
75㎏になればまた乗馬を始めようと思っている。
なんと76.3㎏、今年の11月には大山乗馬グラブを訪ねてみよう。
ヘミングウェイはパリでホテル暮らしをしていた。
随分退屈だっただろう。酒ばかり飲むほかないのは理解できる。
わたしも、ヘミングウェイをきぞって大山で別荘とホテルの
暮らしをしてみる。
ロイヤルホテルを二㎞程下ったところに伯耆町交流センターのガーデンプレイスがある。
ここには生産農家が新鮮な野菜を搬入していて市が立っている。
土曜日と日曜日は特に人出が多い。
このガーデンプレイスからフランス料理店を横に見て通り過ぎ400メートルほど行くと
赤い色の教会が見えてくる。
大山イエス之御霊教会
牧師 辻岡 美雪 と看板が掲げられている。
人は水と霊とによりて生まれずば神の国に入ること能はず。
ヨハネ伝3章5節
とも書いている。
わたしは教会本体と横の住居の立派なRCづくりのアンバランスは古代のソロモン王の宮殿と主の宮とのアンバランスを今に再現しているように感じた。
イエスの御霊を名乗る教会にしてはすでに来るものを拒んでいるようにも見えるこの聖句はいかがなるものか。
イエスの十字架は能わずを宣教するものではない。
むしろ一人一人が神に愛された主の宮を形作ることを宣教する。
人の思考は神の国を言葉化する主の霊知恵に欠けている。
人はだれも神のみ前ではすでに資格を喪失している。
それでもなお資格喪失者をなお神の愛で招かれているのがナザレのイエスの愛。キリストの命(血と肉)でわれらの人のすべての罪を贖ってくださったのがイエス之聖霊の真実である。
すべての人の罪の臆病な思考は取り除かれ自由な御霊を人が共有し永遠の命に生きるように執成す行為者が本来の教会のはず。
明日、看板に掲げられたみ言葉の実態を確認するためにも雅子と大山イエス之御霊教会へ主日礼拝に行こう。
明日は主が私たちを招かれた時となります様に。
駐車場からでも教会の赤い屋根の一部が見える。
明日、主の招きに応答して雅子と礼拝に行こうと思っている。
別荘に着くとダニエルが迎えに来る。
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