母の亡くなった夜遅く三男(弟の浩治)がやってきて、話し込んだ。
翌日朝早く、貝塚聖書教会山里将之牧師が訪ねてくださり。
母と私たちに、共に平安を賜るように祈ってくださいました。
「母は苦しみから解放されて、私たちは介護を終えて、平安があるように。」
牧師が語る聖句と祈りとにあふれる一幅の清涼感、このすがすがしさ、ああ、感謝、感謝。
雅子は牧師と一緒に木曜日のウイークディチャペルへ。わたしは熊取町役場へ死亡届け提出と母の住民票のある泉佐野市役所へ火葬の日程を決めに出かける。
10月20日午前10時から11時葬儀、11時出棺の日程に役場で決定する。
教会へゆき山里牧師に伝える。
午後から母のみうちの方が建ちゃん(弟)といさあん(妹)が見える。
葬儀社ファミリーホールミヤイの宮井社長が母の納棺をしてくれる。
母の死亡時の記憶がよみがえる。
伊藤守の系列看護三宅さんと若い看護婦が来てくれて死亡診断書を持参あり、母の体を拭き、お気に入りの服を着させて化粧を軽く施し、入れ歯を入れ口をタオルで開かないように閉めて頭を高くして寝かせてくれる。
しばし団々していると、訪問介護の十色九鬼社長が夕飯を持ってやって来てくれる。
介護用品ひまわりの社長も夜見えて、母の介護レンタル用品(褥瘡防止ベッドと車いす、座布団)を引き上げてくれる。
ケアーマネージャの赤坂屋さんは母のために開かれた担当者会議以後
毎日訪ねてきてくれました。
17日(二日経過)、ダニエルの散歩からかえりいつも母のことが気がかりになっていて顔を覗き込んでいたが、その心配もなくなり気が軽くなる。
私にとって母の介護の重圧がとれたことが、母の死が安堵に変わった感がある。
今日は花を買って母のために生け花を生けよう。
家の中は、ベッドに代わり棺桶だけが部屋に静かにある。
死亡翌日御世話になった日だまりの西野優子社長に電話すると
飛んできてくれ、母の納棺を手伝ってくれる。
雅子の姉和子ちゃんもきて、みんなで談笑する。
三宅さんは、お葬式に参列できないので母のために今日お別れの挨拶に見える。
ご自分が綺麗に整えた母の顔を見て美しいと自画自賛している。
永い間お世話になりました。
遅い昼ごはんを夫婦二人で戴いていると、赤坂屋さんへ引き継がれた
母のために日赤病院まで来てくださった当初のケアマネジャ奥さんが見える。
ダニエルは飛んで行き、体を摺り寄せる。
開口一番「おかあさん ようがんばったなぁ ~ 。」
終り良ければみんなよし。
ほんま、みんなよしで終わりました。奥さんへ感謝、感謝。
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