2023年12月17日日曜日

雪の誕生日


朝目覚めると天気予報通り雪が天窓を覆っていた。


昨日コイノニア会でヨハネの福音書11章を聖霊によって語り合った。
私市さんからこれ以後イエスはエルサレムに向かって登って行くが、
十字架に一直線にイエスは進んでゆくことが目的ととらえるのは、すこし的外れであると語る。勇ましく立ち振る舞っているのは弟子のほうであり、16節それで、デトモと呼ばれるトマスが、弟子の仲間に言った。「私たちも行って、主といっしょに死のうでないか。」


寧ろイエスは人々に与えられた命を喜びより生きることを父のメッセージを伝えている。創造主である天の父の御力を知ることと互いに赦し合い愛し合うこと。このことをどれほどイエスがわたしたちに求めていたかを十字架の死と復活を通して思い起こすことができるように、ヨハネ11章がある。
エルサレムでの出来事の前に死んだラザロを復活させる栄光を顕す行為に見る。


ベタニアの姉妹と関わりマルタに語りかけ言われた。「わたしは、よみがえりです。いのちです。わたしを信じる者は、死んでも生きるのです。また生きていてわたしを信じる者は、決して死ぬことがありません。このことを信じますか。」


死んだ人の姉妹マルタは言った。「主よ。もう臭くなっておりましょう。四日目になりますから」


イエスは彼女に言われた。
「もしあなたが信じるなら、あなたは神の栄光を見る、とわたしは言ったではありませんか。」

イエスはそう言われると、大声でさけばれた。わたしを(イエス)を信じるかとわたしたちにも語られている。「ラザロよ。 出てきなさい。」


誕生日の朝昨日のコイノニアをこころにとめてアドベントの主の言ったことを振り返っています。生きていて信じる者は決して(永遠の命からもれること)、死ぬことはない。








0 件のコメント: