嬉しい時にはロイヤルホテルで食事をし、露天風呂に入り、
新聞を読み。
ダニエルの散歩をして、
雅子と食事をして、
洗濯を干し、
祈り。
テレビを見て、
窓辺の季節の変わって行くのを見ながら、
時の過ぎてゆくのを
体に感じながら、
夫婦とダニと過ごしています。
主のみ前では一日は千年のようであり、千年が一日のようでもある。
み言葉はわたしの近くに、
日々の食事のように大山の森の中で出会う人と巡りあえるのを数える。
パリ11区のカフェーのテラスに座り続ける、人の日常がある。
大山の森でも暮らす夫婦の日常がある。
ともにいつものように平然と(不安に打ち勝って)日常を過ごすことで自由を賜る力を待ち望んでいる人のようだ。
人はどこでも隣人と挨拶をかわす顔に喜びを得る。
パリでも大山の森でも、そこに人の暮らしがあたりまえに営まれていることに感謝して
主を賛美しよう。
暮らしをわたしたちが営んでいる。充てにできない無力に依らず確かな力にささえられて隣人とともにいる。
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