隣人からの贈りものをいただく。
Chateau de Parenchere 2011
大山の森で雅子と京都のコイノニア集会に参加。群馬とアリゾナからも参加されている。
牧田さんの司会で、人の認識がかわり、新しい人に生まれ変わるにはどのような経験がその人に訪れれば可能か。
日本のリバイバルとよく言われるが人が生まれ変わる認識をともに共有する経験なくては起こりようがないように思える。
人にはできないが、神には不可能なことはない。
イエスキリストの十字架すなわち他者の行為がわたしへの贈りものであるという認識は
現実の日常でどのようにして得られるのだろうか。
雅子と二人いつものように昼飯をいただき、昨日の会議でみんなの前でなぜ近況を語らなかったのかと雅子に尋ねた。
皆に話すことはなかったというのが答えで、わたしはあなたにはないと思える退院後の生活を語ることは他者にとってひょっとすると大変よいヒントをあなたの話から得られるかもしれない。
自分で他者との関係をコントロールしようとするのではなく、
他者へのプレゼントとしてあなたのことを(差し出す)話さなければならないのではないのだろうか。
それができないのは自分のことを自分が支配している傲慢で恥ずかしさや見えがあると思える、ありのままのつまらないと思えることが他者にとってそう思えるかもしれないし違ったように思うかもしれない、要するに語るということは主の十字架のように隣人へのもてなしなのだ。
神の目から見ればあなたは高価で尊い。
高価で尊いものがそれぞれに贈与する経験は日常の対話。
相手を信頼し自分を委ねる経験。
あなたの存在がすでに他者へのプレゼントになっているのです。
そして、夜にこんばんはという声がする。
雅子は「はあい」と大きな声で答えたが迎えようとはしない。
森の中にこんばんわと訪ねて来た訪問者、
なんと手作りのおはぎと荏胡麻の入ったシホンケーキと照り焼きチキンを持ってきてくださる。
誰も隣人から善意のプレゼントを拒むものはいない。
メリークリスマス。
幸本さんからの御馳走を主に感謝して美味しくいただきました。
コイノニアの皆さまの祈りと発話もおなじようにメリークリスマス
感謝していただきました。
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