2016年11月21日月曜日

ここに来られますように


悠子たちから、九州でも紅葉を味わっている姿が
わたしたちに届く。

アリゾナからもコイノニアの会誌に届いた便りがある。
   ここに来られますように!   石田晶彦  

さらに烏賊焼き露天商よりつばすが届く。



雅子が造りにして晩飯に出してくれる。
脂がのつてうまい。
嬉しい便り(神の愛)隣人を思いやる善意が(人々・夫婦を)幸福にしてくれる。



米子の運転免許センターで更新手続きをする。


ゴールド免許で次回の免許更新が2021年の誕生日になる。
オリンピックの次の年、時代は変わっていることだろう。


石田さんも言われているように、
わたしたちも神の国に招き入れられるということは
こういう共同体(政治)にわたしたちもひとりひとり関わっているのだということ。



一人ひとりあなたは高価で尊いというあなたの愛されている神の愛の証しが必要である理由が増々わかりました。

「今、この瞬間、私はイエス様の御霊が御臨在なされているこのコイノニアの集会の、この場にいる。御霊の御臨在による言いようのない満たしの中にいる。主よ、どうか、今、この満たされた場所に向かっている人の脚を早めて下さい」



 これなんですね、「イエス様の御臨在が確かにあると感じられるこの集会に、だれだれさんも来て、共に、イエス様に満たされ、このすばらしさを味わってほしい」、そういう思いが
 


何かの本か、映画か、ドラマに、「こんな楽しい場所に、だれだれさんもいたら良かったのにと感じたら、そのだれだれさんは、もう家族なんですよ」というセリフがありました。

 これなんですね、イエスさまがわたしたちに自分を愛するように隣人を愛せといわれる暮らしの場所・共同体 (神の国)ここに招かれているとは。
 
公共の場に主の真実を隣人とともにそれを賛美することだと。



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