2014年9月2日火曜日

パエリア



昨日、いとうまもる医師の訪問診察を受ける。
母の状態。
VS BP100/60 P90 Spo2=96% KT37.0℃ 下口唇部分に小さな創あるも、化膿創ではない。様子観察。胸部聴診問題なし、誤嚥の兆候もなし。処方は35日分とします。いとうまもる診療所訪問診療部



唇の横にできものができる。化のうはしていないので放置、ゲンタシンを時々ぬる。


といろの訪問介護を毎日利用する。朝と晩介護に来てくれる。


家族だけのターミナルな母との介護生活は心細い、(医師・看護や介護の)定期訪問を受けるのは心強い。


今日はパエリアを昼飯にいただく、蓮沼水産の冷凍食品をご飯に入れて炊くだけ、ムール貝と、海老とパプリカを追加して入れる。





パエリアの本場はバレンシア地方ここは米がとれる。
日本米に似ているそうで魚介類と一緒にフライパンで炊き込む。


世界の米料理をみるとレシピは多い、チヤーハン、ヒビンバ、フオー、ピラフ、ドリア、カレーライス、お餅、粽 ・・・等々。




バレンシア地方へ米が伝わったのはアラブ人による。
パエリアは西暦9世紀以後、アル=アンダルスムスリムの間で作られてきた。ウィキベディアより



バレンシア地方の古代の歴史をふりかえると興味津津、その地にすむ人々の名をあげるとイベリア人(フェニキア人、古代ギリシャ人、カルタゴ人と海上貿易を通じて交流する)ローマ人(紀元前202年の第二次ポエニ戦争によるローマ勝利後、バレンシア沿岸部全体がローマに服従した。7世紀ものローマ支配の間、イベリア人は政治的・経済的・社会的組織に徐々に吸収されていき、言語もラテン語を取り込んでいった。)


西ゴート王国(にしゴートおうこく、ラテン語:Regnum Visigothorum、415年 - 711年)は、現在のフランス南部からイベリア半島にあたる地域を支配したゲルマン系王国。はじめはキリスト教アリウス派、のちにカトリックを国教とし、ゲルマン文化・ローマ文化・キリスト教文化を融合させ栄えた。









バレンシアのイスラム支配期は、8世紀から13世紀まで続いた。イスラム教徒らが灌漑システムを拡張し始めてから、大都市としてバレンシアが脚光を浴びるようになった。



バレンシア地方の言語をみると古代はイベリア人のことばでコミニケーションされていたのがローマに征服されるとラテン語、ゲルマン人に征服されるとロマンス語、イスラム教徒に征服されるとアラブ語によるそれぞれ主役交代によって人々の間で汎用するコミニケーション言語が公的な場所で異なっている。

 



おいしい米を食することは変わらないが、日本では古代からコミニケーション言語として日本語が公私ともに共通言語であったことに、今更ながらパエリアを食べながら僥倖をしみじみ味わった。




 

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