2013年10月22日火曜日

母に訪問者いる日


十班の班長さんから電話が入る。雅子が朝配った自治会資料は他所の九班のもので、どうしたらいいのでしょうと対応を求める電話。




朝から京都に出かけて居ます。
とりあえず九班の方に連絡を取っていただき交換してくださいと答えるしかない。



母に食事の介護をしていると、魚屋さんが玄関の呼び鈴をならす。
母の食事を終えて留津さん宅の前にいる魚屋さんに行くと、




留津さんと松田のおじさんがすでに魚を買っている。
今日は細魚(サヨリ)が旨いとのことで戴く。烏賊と赤貝と甘エビも造りにしてもらう。








お母さんいかがですか。
まあまあです。
もう間もなくと思いながら元気にいます。




雅子さん京都でたまには羽を伸ばさないと。
今晩訪問介護日だまりの方が夜十時前に来てくれるよう手配してます。




そんな晩い時間に来てくれはんの、「よかったねぇ」
ほんまや、雅子がいないと介護が困難や。




自分では立つことができないのでトイレが難しい。





母のために主に祈りを捧げに来て下さった。

バッハの主よ人の望みよ喜びよを笛で演奏してくれた。






貝塚聖書教会の祈祷会で父と母のために祈っていてくれている人がいると
留津さんから聞いて感動した。





人は人に祈られて神のみもとに行くことができる。
この真実はイエスの時から今も昔も変わらない。
サウロも人に祈られてパウロになった否なれたのだ。






祈りがなくなることは虫たちのなき音のなくなる地に等しい。

讃美と詩と音楽が消え去る闇に等しい。












 

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