2017年4月21日金曜日

新緑の中で雅子と



まださんからいただいたこしあぶら。




Sophie Bertin Pinot Noir Recolte 2014
天婦羅とお浸しで美味しく戴きました。










森が新緑で賑わっています。



土手にはスミレが咲き誇っています。











 
 


ダニエルがついてこなくなったが、同じコースを朝晩散歩しています。






ここで暮らしているのだが、どのように暮らすのかが定まらなかった。
クルーズ船に乗って旅するように暮らすのがわたしの暮らしにあっていそうだ。






来る日も来る日も海原のように、森林の中。



時々、港について観光するように、丘の上で会話をする。




そしてまた出帆。
新しい出会いを求めて船出する。





船内でパーティをするように大山ロイヤルホテルで華やぐ。





リゾート地で年金生活者が暮らすのも、主が与えてくださったわたしたちへの恵みなのだと気づきました。



暮らしは、誰にもそれぞれ決まりはなくそれぞれの自由に暮らせばいいのだ。


単調な日常はクルーズする者にもやって来る。
代わり映えしない大海原も時には美しい夕焼けや恐ろしい嵐を経験する。



寂しい大山リゾートの森も四季折々表情を変える。


海原を見つめる以外ない乗客にとって時それぞれの表情は航海する者にとって慰め。
わたしにとっても森の変化を主の慰めとして感謝して味わい尽くそう。


そして時々エクスカーションがあるように、大山の森で人と出会う観光地の喜びに出会う。





ただ心に留めておきたい、クルーズも森の生活もやがて終わりが来る。






そうです、ダニエルのように、誰の上にも終わりが来て、ダニエルのように生きているのだ。


人と獣と人生にどれほどの違いがあるのか。


違いがあるとすれば、どのような所でも人は一人で生きているところでも、
その時代を生きているものの歴史の一端を担っているという事実だろう。



自由に生きてあるい不自由に生きて楽しく生きてあるいはしんどく生きて、それぞれ自分の人生を生きることは、歴史の一端を担っているわたしたちの人生が歴史を形作る時代の真実な証し、ヒストリーなのです。



ダニエルは気づいていなかったかもしれないが、人はどのように生きても他者と繋がって歴史を形成しているという歴史の主人公の自覚が目覚めさせられる。



こんな森でもその一端を担っていると気づいたとき、クルーズ船に乗って旅する人生もそれはそれで人生なのだという思いに至った。


 
 









 

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