2016年6月13日月曜日

人の歴史の真実は

主にあっては、一日は千年のようであり、千年は一日のようである。
 

丸山を久しぶりに下ってホックにゆく。


帰り、たむらによって鮨を手に入れる。Lombardini Il Campanone 2014 で


雅子といただく。


若葉では歯の治療は伊藤歯科だが通うことができない、一番近い小田歯科医院を選ぶ。
かむ力が強くまたぞろ歯が痛み出した。


肩鎖脱臼の後遺症も筋肉の収縮期に入ったのか、背から腰にかけて痛みだす。


雅子は(変形性股関節症)、腰から膝にかけて、私は右肩から脊と前歯。


痛みは生きていることの証。
Weingut Schloss Sommerhausen で痛みを和らがせる。


ロイヤルホテルの風呂仲間、博士より端午の節供にてづくりの粽をいただいた。
端午の節供は東南アジアでは六月九日がその日に当たる。


端午の節供を粽で祝う習わしは紀元前3世紀には楚の国で行われていたという。


ベトナムでも行われているニュースがながされていて興味深かった。


アメリカのフロリダで銃乱射殺人事件がテレビに映っていた。
男はフロリダ州に住む米国人オマル・マティーン容疑者(29)、両親はアフガニスタンからの移民、彼は二世米国生まれ。事件当日ISに忠誠を誓うとして犯行に及んだ。



そのISは現在中東の地でロシアとアメリカの軍事作戦によって支配勢力をアフリカでもイラクでもシリアでも後退させている。
ISの首都陥落の先に待つのは、中東の混迷をもっと複雑にしかねない“不都合な現実”との見出しで日本経済新聞は 編集委員 松尾博文の記事を載せていた。
  




今年はシリアやイラクの国境画定のもとになった、英国やフランスが1916年に秘密裏に交わした「サイクス・ピコ協定」の締結からちょうど100年になる。

 ISは英仏が人為的に引いた国境線の否定を掲げた。

ISとの戦いは簡単に終わらないとしても、非人道的な領域支配は長続きしないだろう。だが、中東の国境線を問い直す動きは、ISが駆逐されても引き返すことのできないところに入ろうとしている。

これが不都合な現実の正体である。
サイクスピコ協定. 第一次世界大戦中にイギリス・フランス・ロシアの三国で結ばれたオスマン帝国(トルコ)領の分割をとりきめた秘密協定。1916年5月16 


サイクス・ピコ協定ならびにその現場となったオスマン帝国(アナトリアの片隅から生まれ西はアルジエから東はペルシャ湾、南はアデン湾から北はブタペストーハンガリーまで支配が及んだ、その支配について知る必要がある。



主の御目には歴史(千年と一日)は今日の私たちの気づき知ることとなんら変わることはない。と人々は真実を認識するように示唆されている気がするのです。


わたしが知ったのは



オスマン帝国南部であるアラブ圏ではムスリムが大部分であり、また、その宗教はオスマン帝国の支配イデオロギーであるスンナ派が中心を成していたが、イラク南部ではシーア派が多数存在しており、また、現在のレバノンに当たる地域にはドールーズ派が多数、存在していた。

しかし、これだけにとどまらず、

エジプトのコプト教徒、レバノン周辺のマロン派
シリア北部からイラク北部にはネストリウス派が少数、東方キリスト教諸宗派正教徒アルメニア教会派カトリックユダヤ教徒などもこのアラブ圏で生活を営んでいた[103]

なるほどアラブ圏でキリストの信者が生活を営むことができる平和がオスマントルコにあったということ。

現代と比べアフリカから中東そしてバルカン半島まで平和を実現する主の知恵を人々がともに共有した歴史(人々の行為)の真実に驚いています。



 

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