平和=鳩=聖霊=ヨナ=イエスの語る救い、あなたたちへのしるし
昨日、コイノニア会がありコリント手紙第一6章を語り合った。
そして議論は白熱した、核の傘(アメリカの軍事力)に頼る国防と日本国憲法の地上の平和を愛する人々との信義による防衛とどちらがおとぎ話でありどちらが現実的(リアリテイ真実)であるのか。ウクライナを核によって脅しながら侵略するロシアを核大国のアメリカが本当にロシアの進行を核を使って阻止することができるのか。答えは否。それでは台湾有事の時の中国に対してはどうだろう。
安全保障と平和についての違いはある特定の少数者の安全から不特定の多くの人の安全を考える思弁思慮思考の大きさ、友愛としての包容の度量の大きさにある。
平和は忍耐強く賢く謙虚になり他者と和解のために努力すること蛇のように賢く鳩のように優しく他者との関係に知力と忍耐をもってあたることによってしか得られない。対極の傲慢で短気で思慮に欠ける怒りという手っ取り早い解決策である絶交断絶という境界線(敵)を自ら設けて排除しないことにある。
結局国連において地上に生きる同輩として大いに核兵器廃絶を議論して平和を目指す以外に道はない。さあ来たれ論じ合おうと主は仰せられる。たといあなた方の罪は緋のように赤くても雪のように白くなる。
民主主義社会は人々は互いに論じ合うことをあきらめてはならない。
公共の場で私の目には高価で貴いひとりひとり個人がイエスの(真理)の霊に満たされて
自由に共によりよく生きてゆくためにそれどれ不十分ながら意見を述べることによる。やがて時がいたり創造主がイエスを死人の中から復活させられたように人々の前に(永遠のいのちである公共に)人々のいのちである平和を、現在までの歴史が私たちに証ししているように新しいComon共通のSense認識として(復活)させてくださると信じています。
人々の自由で平和な暮らしの実現は偶像礼拝(傲慢な人間の作った権力や能力の産物である核兵器や軍事力、国力である財政、人々の自由を強制的に奪い政治を行う専制国家権力)にはありません。
聖書にあるように権力によらず、能力によらず、わたしの霊によって(個人の自由が誰の自由も損なわない)平和を日常に実現させるのはナザレのイエスの聖霊との管鮑の交わりによるのです。
敵を愛しあなたを迫害するもののために祈りなさい。悠子たちから贈り物が届く。
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