2014年8月10日日曜日

蝉の賛美

蝉が一声になきだしました。

台風11号が通過中、蝉たちはなき声ひとつ立てませんでした。



 

風が止み、蝉がなきだしました。




















集団的自衛権も考えてみれば日本の国に住む一人一人の安全保障についてどう判断するかによる。

自分の生存権を国や集団に依存する前に自分と隣人の命をどう愛して過ごしてゆきたいのか、個人がどのように自分の命を生きたいのか、国家以前に人々が至極普通に生活してゆく問題である。

帰属する社会や国でどのように生きたいのか考えることが先にある。今回唐突にでてきた集団的自衛権問題はひとりひとりの生活の安全確保の問題についてそれぞれの安全保障についての考えを端から軽んじている。






台風一過まだ風が吹いていたがやや下火になり、雨がやむや否や、
蝉が一斉に命の声をあげるその声に心うたれる。






蝉と強大な力を持つ台風を考えてみれば、暴風雨に声をひそめて耐え忍んでいた蝉たちが一斉に声を上げている。人々の声はこのようなものだろう。
それぞれの思いの現われであると私は思っている。蝉たちの鳴き声の現れと同じ思いの現れである。





いっぴきいっぴきのいきるおもいが声になっている。

一人ひとりの思いが言葉となって他の人と連帯していることは
集団を現わしているが蝉の鳴き声のようだ、自然な自由な現れです。

驚きなのは台風の危険をちゃんと生まれたばかりの蝉たちが知っていることです。




オランダの Arnon Grunberg 氏も米紙ニューヨーク・タイムズに「集団的悲しみの問題」という題名の英語のコラムを寄稿、危険性を私たちに知らせる。






わたしたちはどこのくに帰属するまえひとりの人であり、わたしたちの意見は 『尊重』 される。











国家やそこに暮らす民族やその国に所属する人々にとって、






自分たちに属す人々の不幸な出来事や悲惨な死は、




犠牲者の国籍を問わす悲劇的なものだ。






悲劇が民族主義を刺激する道具として使われてはならない。









「どの国、どの社会も構成員に哀悼の意を強制してはならないということだ。哀悼は非常に個人的なものだ。」






個人的なものであるゆえに危機に一人一人の意見が 『尊重』 され
が生まれてくる。






主は倒れようとする人をひとりひとり支え、





うずくまっている人を起こしてくださいます(詩編 145:14)








 










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