水曜日の夜は貝塚聖書教会でみことばの学びと祈り会がある。
エレミヤ36章『書き記された神のことば』を学ぶ。
そのあとみんなで祈りとなる。
昨夜はそうは成らなかった。聖書が滅び失せなかったのは、
そこに御霊が人々に働いて神が残されたことを強く意識した夜だった。
イエスが神だと理解するように人々に創造者の霊が宿る。
人の単なる希望や願い事や思いでではなく不思議な力が働いて人々にイエスが神だと認識させるようにみことばである聖書も守られたように、人々の霊性も神は守られている。
古代のイスラエルの人々を奴隷の身分から救いだしたみ言葉の成就である。
民を乳と蜜のあふれる約束の地へ導く神の御心の成就は今を生きる私たち一人ひとりの人格に宿る霊性によって実現されてゆく。
このことは永遠の命として神によって守られている、神があたえてくれた人の命/天にでも地でも繋がれる権利として成就するのです。どんなに人々に語りつくしても語りつくせないわが身を持ってする宣教命令であると私は信じている。
み霊はまず最初、個人に宿りそれを他者へ伝えて行くのです。
神の自由な御霊は人々の間でコミュケーションをなりたたせてくれるゆえ
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