2014年3月19日水曜日

ハンナ・アーレント過去と未来の間よりイエスの深さを考える

過去の確かさの消失━
人間存在の深さの次元が奪われることを意味する。
なぜならば記憶と深さは同一である、というよりもむしろ、
想起がなければ人間にとって深さは存在しないからである。
(ハンナ・アーレント 過去と未来の間)



天上と地上で家族と呼ばれるすべてのものの名の元である
父の前に祈ります。
どうか父が、その栄光の豊かさに従い、御霊により、力をもって、
あなたがたの内なる人を強くしてくださいますように。
こうしてキリストが、あなたがたの信仰によって、
あなたがたの心のうちに住んでいてくださいますように。
また、愛に根ざし、愛に基礎を置いているあなたがたが、
すべての聖徒とともに、
その広さ、長さ、高さ、深さがどれほどであるかを
理解する力を持つようになり、
人知をはるかに越えたキリストの愛を知ることができますように。
こうして、神ご自身の満ち満ちたさまにまで、
あなたがたが満たされますように。(エペソ 3:15-19)



 
しかし世界の永続性と信頼性が失なわれたー政治的に
見ればこのことは権威の喪失に等しいーからといって、
世界、つまりわれわれの死後も存続し、そして後から
やってくる人びとが住まうのに適した場所でありつづける
世界を、建設し。保持し。気遣う人間の能力までもが、
少なくとも必ずしも失われるわけではない。
(ハンナアーレント 過去と未来の間)




み心に適う世界を、神に愛されている世界として生きる
決断をキリスト者はする。
この決断は十字架に現われたナザレのイエスの人格を
何度もキリスト者に想起させることだろう。



十字架のイエスについて私たちが単にその死を語る
だけでは、いかなる行為も惹き起こされない。
私たちにおおきな衝撃をあたえ彼に信頼をよせるのは
彼がわたしたちと同じ領域(政治の領域)にいたことによるが
また私たちの外の領域にもいたことによる。
人の利害関係から外の領域(正義と公正)神の愛の領域に
いたことによる。
それはいかなる犠牲/死をはらおうとも失わないという
情熱を私たちが十字架にみるからに違いない。


 
 
 
 
 
















 

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