2014年2月2日日曜日

La Vague Bleue の青と暦の真実



二月にはいり春めいてくる。




おむつカバーがなくなったのでショッパーズモールに買い出しに行く。
そこで食料品売り場が五月六日に閉鎖されると聞いた。




ユリウス暦が閉鎖されグレゴリオ暦がオープンした時も人々にとって
スーパーの閉鎖以上の動揺があったのだと思う。





La VaGue Bleue  Herve Kerlann
エルヴェ・ケルラン ラーウァーグ・ブルー スパークリング
美しい青が二月の季節はずれな春のいちごとマッチングしている。




なぜ二月だけが極端に短い日にちになるのか不思議だった。



事実を知ればまだまだ驚くことしきり、紀元前750年頃
古代ローマでは古代ギリシャの太陰暦を元に王が一年のはじめを三月に宣言していたそうである。(ロムルス暦)
一月と二月の暦はなく三月が年の始まりで十二月が終わり暦は十か月であったとか。




農耕に一月と二月は休耕につき暦が必要ないという考えはいかにもローマ人の暮し方が垣間見えて滑稽で笑ってしまう。





その後ユリウス暦が採用される、ローマ皇帝カエサルが定めた暦で、
7月はユリウス・カエサルの誕生月にちなんでJulius(Iulius)となる。
紀元前46年90日長い445日にしてずれを調整した年であった。
八月のオウガストはローマ皇帝をさすアウグストからきている。
流石ローマ皇帝の支配が暦にも及んだと言える。

古代のローマの新年である三月が年始により最終の二月に帳尻を合わせていたのがユリウス暦にも引き継がれているしグレゴリオ暦でも28日或は29日と調整したのがローマの暮らしの習わしから来たのが解った。




然し当時としては地球が太陽を一回りする時間の長さをほぼ正確に把握していた。




グレゴリオ暦(グレゴリオれき : Calendario gregoriano)は、1582年ローマ教皇グレゴリウス13世ユリウス暦を改良して制定した暦法である。現行の太陽暦として世界各国で用いられている。




キリスト教においては、重要な祭日である復活祭の日付は毎年の春分日を起点として定義されるが、第1ニカイア公会議(325年)において春分日はユリウス暦上で毎年3月21日とすることが決められていた[1]




この春分の日は北半球に暮すものにとって太陽が赤道を越える日でユリウスが定めた暦とずれが生じる。


ユリウス暦では春分の日は128年で1日の差異ができる。
1600年ほど経って大勢の人の目にようやくずれが見えるようになってはじめて
真実を掴んだともいえる。


使徒の働きのみことばは印象的だ。
「神に聞き従うより、あなたがたに聞き従うほうが、神の前に正しいかどうか、判断してください。私たちは、自分の見たこと、また聞いたことを、話さないわけにはいきません」






 

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