2011年11月29日火曜日

母親の脳出血


昨日永山病院から呼び出しがあり母親が脳内出血しているとの説明を受ける。
永山では脳の外科的対処ができないとのことで設備のある徳洲会か泉佐野市民病院
日本赤十字社和歌山医療センターの選択肢をしめされた。




昨夜救急車で和歌山赤十字社に緊急転院する。






今日も母親をお見舞いする。







和歌山は私の故郷。


父親も母親も和歌山に愛着がある。






日赤病院の窓から見える新和歌浦方面、秋葉山がみえる。







美しいロビー、クルース゛日赤の感覚。


和歌山の病院生活を楽しむ。









病院内には美容院、銀行、レストラン、カフェー、花や、コンビニ、があった。










ここから数キロのところに万葉集で有名な国立公園新和歌浦がある。









雑賀崎の夕暮れ、私も父も雑賀小学校出身。















雅子と悠子とここのすし屋がおいしくて夏になると泳いだ後によく通った。







アミロイド血管症のため手術より薬事治療がベストな選択。


左側頭葉脳内出血はまた後遺症として失語症になる可能性がある。







然し嬉しいことに、手術なくこのまま自然に生を全うする。

延命治療を希望しない私たちの思いどうりの治療に満足している。


主は与え主はとられる。主のみなはほむべきかな。






信頼できる人に主治医になってもらって安心している母親。






数日前の表情とは雲泥の差。










安心して治療してもらう嬉しさ。






栄子は入院以来付き添いで病院で寝泊まり。






もう間もなく師走、街はクリスマスイルミネーションへ。

今年は父も母も健在な年越しになりそうだ。










2011年11月21日月曜日

大山別荘の復旧確認のためロイヤルリゾート大山へゆく



大和ハウス大山リゾートが請け負った、工事完了の確認に大山へゆく。




久しぶりに城崎に立ち寄り、外湯に入り、懐かしい温泉街を雅子とダニと散歩する。
むつの屋を過ぎたあたりに濡れおかきの店があった。とてもおいしくいただきました。











香住漁港の三七十寿司でかにのちらしずしと茶わん蒸しを頂きました。




板前さんも歳を取っていました、懐かしい再会に思わずお互いにんまり。









車の運転で酒が飲めないのが残念だったが、一路大山へ浜坂温泉を越9号線へ夏泊あたりから無料の山陰路の高速がほつりぽつりと出雲方面行きがありそれに乗る。












城崎に行くとき、湾岸線で神戸に、有馬へ抜ける六甲道を通り舞鶴自動車道を通り但馬をぬけて円山川を走る。篠山、丹波、西紀の山の紅葉が美しく思わず声を出す。









城崎方面の山に雲海がたなびき津居山漁港や日和山の方角が山水画のようであった。玄武洞をすぎたあたりから円山川も水をたっぷり満たしてのぞかな旅愁をかもしだす。


そろそろ城崎温泉でゆっくり暖まりたくなってくる。







ダニエルは城崎でも人気者だった。若い子によく声をかけられた。




一時すたれていたがまた盛り返しているようだ。夕やみ迫る外湯をめぐる人々で実に楽しい。






ロイヤルホテルの露天風呂で朝湯にはいり、マウントビューで昼飯を頂く。


岸本さんは、シャンパンをわたしたちにお祝いだと言って開けてくれた。





今日は20日マウントビューはワインの日。十二月三日フランスの有名シェフの料理を味わうガラパーティがあるというので予約する。






別荘は見違えるように美しくなっていた。


壁も屋根もリニューアルして新築当時の初々しい興奮がよみがえる。



あれから二十年もたつ。













雄設計士とこの別荘地を見に来て、マウントビユーでソムリエだった富田さんのすすめてくれたワインを味わい、別荘建築にあれやこれやと話を咲かせた。













まりはここで眠っている。











若かつた雅子はごらんのとうり、いつもくっついていた悠子はもう独立。


















2011年11月9日水曜日

若葉に帰ることができるようになって二回目 感動したこと

ヨハネ14:6について悠子と議論する。






昨夜、悠子と「人はみずから神がなくても、それぞれに真実を見出すことができるか」
で議論した。
今朝、ヨハネの福音書7:38がわたしたちに現われ栄光を受けるにふさわしい神を賛美した。


イエスは立って大声でいわれた。悠子とお互いに大声で立っていわれた神を賛美した。





「わたしを信じる者は、聖書が言っているとうりに、その人の心の奥底から、生ける水の川が流れ出るようになる。」


当然すぎて人格の自由性は聖霊だときづいていなかった。








悠子は言っていた、ひとは自由だから神を捜しもとめる人にしか神は解らない。

ほとんどの人は神を必要としていないで自分の作った(神)偶像に満足している。






信仰は親が死んでも悠子に遺産として残すことができる唯一なものと思っていた。
神への信仰が、久しぶりに帰ってきた悠子に息づいているのに驚いた。









『悠ちゃんにはキリストがついているから大丈夫』と慰めてくださった

ひとたちの言葉を素直に信じられなかったわたしを恥じ入る。








今日悠子とホライズンにいる父親を訪問した。




立命館や同志社を卒業した人たちが悠子の職場で働いているらしい。
わたしは、一流大学をでてしようもない職場で働くのはもったいないというと、

その子のお父さんが、反対するとばかり思っていたが反って自分で選んで一生懸命頑張っているのを応援してくれたのを知って父親を尊敬し同時に感謝していると言っていた。
そのあと、その子の親父さんもう死にそうやけどと言ったのには、悠子のユウモアのように響きわたしと親父と笑ってしまう。




彼は親父のもとに帰って親孝行しようかなあと心が揺れているらしい。




悠子たちの青春を感じてちょっと羨ましく、わかいころが懐かしくなった。






2011年11月8日火曜日

キリスト者の自由と上に立つ権威について聖書より考察




留津さんからメールをもらって、ローマ13:1 人はみな、上に立つ権威に従うべきです。

神によらない権威はなく、存在している権威はすべて、神によって立てられたものです。

という御言葉が気になりました。


キリスト者の自由と上に立つ権威との関係を暫らくの間考察したいと思っています。

主はわたしに新しい領域と発見を恵んでくれる気がする。




2011年11月2日水曜日

妻と朝食のできる幸せ




今日は入れ歯を決める日。インプラントは30万円もして無縁。
丈夫な歯を削らなくていい入れ歯がベストな選択に思える。

口の中に粋な宝物をいれているように思える。きらり宝飾。







雅子は京都に行った時、かぼちゃの容器がいつもあったと悠子は言ったという。
思い出は意外な時に。
会社帰り天王寺ステーションの地下売り場でハローインまじかになるとかぼちゃのお化けのチョコレートがよく並んでいた。





ダニエルはいつも雅子のお気に入り、必ずご飯に注目してくれるから。 嬉しい。 我が家のお坊ちゃま。







新鮮な野菜がおいしい。












もりもりもりもり湧き上がる朝の喜び。話し相手のいる幸せ。


眠っている間に力があふれるようによみがえっている。




2011年11月1日火曜日

イエスとバプテスマのヨハネの相違について




バプテスマのヨハネの洗礼しか知らない、イエスの聖霊についてはそれは何という聖書箇所がある。
使徒19-2
「信じたとき、聖霊をうけましたか。」と尋ねると、彼らは、「いいえ、聖霊の与えられることは、聞きもしませんでした。」と答えた。

日本の基督教会でも、貝塚聖書教会と同様バプテスマのヨハネしか知らない教会が多いのではないかと思ってしまう。


罪の悔い改めばかりを求めて、当人が今御国に招き入れられた存在であることを評価していないし、当人ですら御国に暮している喜び具体的な実感が乏しい。



まさに信じた時聖霊が受けている感覚がない教会ばかりである。


聖霊はその使徒の人格。
その人の自由性なのです。

バプテスマのヨハネは罪の悔い改めを迫り、神にへりくだる人を求めたが, ナザレのイエスは共に暮す人を求めた。

共に御国に暮すには、その人(ありのままなその人の聖霊=自由性=神と同じもの人格の自由性)を唯一必要なものとイエスがもとめていたと私には思えるのです。

はいといいえをはっきりさせること、ひとりひとりの恣意的な判断を希求しているのです。

あなたは今私とともにパラダイスにいます。
十字架の上でお互いのいのちのつきる間際にすら他者に言葉をかけていました。
あなたは今私とともにパラダイスにいます。

聖霊を受けるとは、私も主と同じに私の人格(自由性)に生きる人の生。

バブテスマのヨハネのようにあなたこそ来たるべき救い主ですかと尋ねる迷い人ではなく、他者と共に生きる、はいといいえをはっきりさせる同朋なのです。

挨拶のごとく、
サンキュー、ユーアーマイプレジャ、ユーアーウエルカム。
イエスが他者とともに日常にいる。