2010年9月12日日曜日

主の日礼拝


パウロは生きていたイエスとは面識がない、ダマスコで同朋イスラエル人を引っ張ってきて死に至らしめることをする自分のしていることの正統性に疑問をいだきだしたのであろう。いままで間違いないと信じていた義に混乱が生じる反対にイエス並びにイエスに従っている弟子たちの行為を理解しはじめる。
これがパウロのイエスの復活である。
月足らずに生まれた者にもイエスは現れてくださいました。パウロの語るこのような心境は現在のわたしたちに至るまで自然に理解できる心境だ。

わたしはこれこそが復活だと思う。復活とは現実に社会的なことがらだ。(牧師は歴史的と表現していたが、説教から復活がなぜ歴史的なのか理解していないのが分かる。対比として五穀豊穣の神をもちだしていたが。)

承認なくして、イエスの復活はありえない。
イエスは十字架で死に至り、三日目に人々の前に復活する。

これはイエスこそイスラエルの神と承認する人々がいたという事実である。
イエスを承認する人々がいないと、復活はなりたたない。
・・・・・このことが歴史的の意味です。(そこに人が暮らし判断して生きている。)


「だから人の子はあなたにいっておく、わたしはあなたたちひとりひとりの自由な判断によりとこしえにあなたとともにいる。」
このようなイエスの声が聞こえてくる。










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いつもなら、よだれをたらしてテーブルの下にいるダニエルがこない。
教会へ行っている間に閉め忘れた台所に入りドッグフーズをしこたま食べていた。














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