2022年4月11日月曜日

自生の水仙が咲く

 


観音竹を外にだして金魚の池へ水をバケツで毎朝いれています。


枯れた松の樹を今年も切りだしています。
自生の水仙が美しく咲いています。





若葉の自宅を雅子とつくった時、父親が持ってきてくれた観音竹、枯れて死にそうになると根元から若葉がでてきて三回ほど繰り返して大山でも生きています。



若葉で井原の里のダイエー系列のスーパーのお花屋さんで買ったランが昨年とうとう枯れてしまいました。枯れてしまう植物とのお別れは悲しい。



そんな中で父親からもらった観音竹がわたしたちと一緒にあることが嬉しい。


反対に、わたしが就職して間もないころの年末、残業していたら松江の大根島から着物を着てたすき掛けした姉さんたちがかごを下げて不思議な今から思うと売り子さんが牡丹の球根を売りに来たので一ついただきました。親父と暮らしていた住宅に鉢植えしていたところに三度咲きました。大きな牡丹の花を咲かせたのがわたしと雅子と結婚した年。それから枯れてしまいました。


何を言いたいのか、漠然としているのですが、主様が時を与えてくださっている実感です。咲く時と枯れる時、すべて時にかなって主様の御心のうちに。


だから哀しいのですが主様の御心に信頼して新しい主の時を待つのです。新しい出会いに期待を込めて。


過ぎ去ってしまった愛しい時を主に感謝しつつ。



0 件のコメント: