2017年11月13日月曜日

鼠径ヘルニアの手術


山陰労災病院へ行く前日に雅子にオムライスをつくってもらった。
持ってゆくもの誓約書、入院誓約書兼保証書、健康保険証、限度額適用・標準負担額減額認定証、印鑑、クレジットカード、携帯電話、小銭、診察券と下着。を準備した。



ロイヤルホテルで朝風呂に入り車を走らせ大山を下り病院へゆく。
受け付けを済ますと看護婦にこれから過ごす病室に案内される。九日午前11時。




病院のパジャマに着替え、手に個人認識票がつく。今回の手術と看護の説明を受け署名をすると、病棟と病院の主な施設を案内をされ、入院中のルールとおよそのタイムスケジュールが説明され。担当医師が病室に挨拶に見えた。明日頑張りましょうと声を掛けられる。



昼の食事のあと午後三時に入浴をした。今日は何もすることはない。
明日頑張るといったってなにもわたしにはすることはない。
本を二冊持ってきた。

 
 
 悠子はスカイプで雅子と連絡を取り合っていた。お母さんから譲ってもらった振袖を大事に日干ししている。病室に電話くれて、脱腸の手術は簡単だからと励ましてくれた。
 
 

みんなから注目され優しくされお世話される経験は考えてみてもそうはない。
入院することは素敵な経験だ。


わたしは主に祈った。全てあなた様の御心にお任せいたします。
素晴らしい人生を与えてくださいまして感謝します。


手術前夜風呂に入り午後六時の夕食を済ますと、あとは午後九時より絶食で水も飲めない夜中にこぶら返りを起こしそうになった、翌10日午前八時20分に看護婦が迎えに来て歩いて手術室にゆく。


手術室に入ると綺麗なしゃれた長細いベットソファのような手術台が中央にある。
わたしは深々とそこに寝ると、心電図をつけます、血圧計と酸素測定器もつけますと声がかかる。先ほど挨拶したスタッフたちだ総勢五から六名いる。
点滴しますと言って利き腕でない左手の末梢血管より注入しようとするも朝で体があったまっていないのと脱水症状で血管が細くなっていてなかなか入らない。


麻酔科の医師と思うが頻りに手をたたいてこすっていて血管を浮かび上がらそうとして焦っている表情が見える。わたしのほうは手術に臨み不安でいっぱいなのにそのうえ注射バリをさそうとしている彼の表情に増々不安と当然緊張感が増して来る。


グウパークッパしてくださいというので手を握ったり開いたりする。
あれ、あれ、と言いながら針を抜いて手を押さえてもんでいる。


わたしのグッパの仕方が悪いと注文をつけて来るので、わたしは思わず『あんたいい加減にしいゃあ』と言葉が出た。


血管のでないのはわたしの所為か。寒い廊下を手術服一枚で歩いて体が冷えた上に、昨夜九時から飲まず食わずで脱水しているから血管が細くなって浮いて来ないのは当たり前のことや。


言われるままに協力しているのにあんた自分の仕事の下手なのを棚に上げてわたしの所為にするのは如何なものかよう考えてみい。


もっと努力しい。人のせいにする前に湯たんぽで手を温めるとかちょつちょと工夫しなはれ。かれは顔を引きつらしていたがわたしに『努力しているのですがねえなかなか入らない』と言って利き腕のほうに変えて針の太さも小さく変えた。



これからする手術の麻酔担当医を腹立せたのを手術を任すものに良くないかもしれんと悔やんだが起こってしまった出来ごとは良しとし、その出来事に出会ったそこにいるチームの皆が後にわたしがいることで起こった出来事を想起する時また予期しない良い出来事として生起することを願い口を閉ざした。



点滴が入りだし、酸素マスクがあてられ深呼吸するうちに深く眠ってしまったようで
小阪さん起きてくださいの呼びかけ、もうすべて終了しました。終わりましたと担当医の言葉が耳に届いて意識が目覚めた。



手術台から移動ベッドへそして病室のベットへ移され。病室のベットのうえで家内と悠子に電話を入れて再び眠りについて起きたのが午後三時を過ぎたころだったと思う。
  



看護婦が来て様子を訪ねるのでトイレをしたいので起こしてもらい歩いて行こうとすると彼女は手にホースと尿のためる袋を持ってついて来る。わたしは点滴をつけているので点滴をつりさげている棒を押しながら歩く。

彼女はどこかおかしいときずいたのだろう。尿の管をはずしましょうかとわたしに言う。


ひとまず病室に戻り、看護婦は医師に取りはずしていいかきいてきますと行って帰って来ると管をぬいてくれた。手術服も脱いで新しい病院のパジャマに着替えるのを手伝ってくれた。点滴の管をいったん外しまたセットしてくれる。すこし動きが自由になった。





先生、食べられるようなら今夜の夕食を食べてもいいということですとわたしに言うので
それでは夕食をお願いしますと申し出る。



午前八時半手術室へ午後二時ベッドへ。午後三時尿の管取り外し、午後六時食事をとり
午後七時点滴を取り外す。午後七時には医療器具の拘束から解放されトイレへまったく普段の自由のからだに戻った嬉しさに喜びを味わう。



手術のあと一番苦しかったのは電話を家内にしている時、吐き気がした。
めまいのようなむかつきが変なにおいとともにやってくる。
腹が張って息苦しい。
一時間ほど眠ると楽になり、トイレがしたくなった。管が入っているのを知らなかった。


膀胱に入っている管を抜いて小便をして顔を洗いうがいをしてやっと嫌な臭いから解放されて気分が良くなってきた。歩けるということは手術が成功したのだと解った。



晩飯をたべ点滴の針を抜き大便にトイレへ行くと腹が張っているのに気付く。
どうも脱腸のように膀胱の下のほうも膨らんでいる。睾丸に下る管のあたりもはれているのに気付く。



翌11日土曜日朝。巡回医師に脱腸の術後の様子を訪ねられたので膨らみを尋ねる。
治っていないのではないか不安だった。



医師が触って曰く。空気や水が溜まっているとのこと、徐々に取れて来るらしい。



その日の午後手術をした大井医師が見舞いに見える。
どうですか。わたしは午前回診の医師にまだ膨らんでいる状態であることを告げたところ
脱腸ではなく術後の腫れとの診断を受けたと答えた。



大井医師曰く。手術をする時、腹にわざと空気を入れて膨らませて実施することの説明有り。脱腸の穴をふさいだので残った空気が逃げられなく膨らみを形成しているのと、ステンの網が入っているので肉体になじむまで体が拒否反応を起こして水ができるのだという。


いずれにしても二三日したらとれて来るらしい。大井医師の説明に納得し彼の言葉を信じた。


大井医師の言葉通り翌12日腫れが引きはじめ13日睾丸の腫れもなくなっている。
そして今日めでたく退院となる。ひとり大山に帰ってきた。


さて、病院に入院中何もすることがなかったのでわたしは二冊の本をもってベットの上で読んだ。


梅原猛 葬られた王朝と同じ著者で隠れた十字架法隆寺論。


どちらも共通する問があった。


その時の出来事を言葉化すなわち歴史化する時、八世紀に奏功した古事記・日本書紀の言わんとするものは人々に歴史の真実を伝えているのかという問いです。
古事記や日本書紀に描かれた大国主や聖徳太子に果して等身大の真実のままの姿で理解されているのかという問いはわたしは十字架の出来事とナザレのイエスの真実も変わらないものだと思った。



ポンテオピラトがイエスに聞きます。「真理とは何なのだ」と

イエスは言います。
真理のあかしをするために生まれ、このことのために世に来たのです。
 

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