有意(ゆうい、英: significance)は、確率論・統計学の用語で、「確率的に偶然とは考えにくく、意味があると考えられる」ことを指す。
隣人のいることは偶然ではなく意味があるということは、私は他の人に対してどんな意味があるのかということでもある。
誕生日に私の隣人である雅子のいることの意味を考え始めていると、
突然、これもまたわたしの隣人である悠子からわたしの携帯に誕生日のお祝いの電話がはいる。
人が誕生して伴侶を得て子供が生まれ、子供が育ちそしてまた私たちのように結婚し子供を授かる。
今、娘の悠子が結婚する時に、大山の地で、わたしの父親の死とこの世での別れの迫っている時に、隣人の有意性に深い感謝と喜びを味わっている。
明日18日に二つの約束のために山を下る、烏賊焼きそばのおじさんとの紅ズワイの取引と。
自動車のナンバー変更にともないETCの再セットアップのために米子ヤナセでそれを行うこと。
約束は19日にもある。
悠子の婚約者のご両親と私たちと大山ロイヤルホテルで対面する。
米子は昨夜から強い冬型の気象配置になり朝から雪が降りだして大山では21㎝の積雪になっている。
わたしの誕生日プレゼントは天からの雪のほかに、大和ハウス大山リゾートの小林さんからお花(観葉植物)をいただきました。
隣人の有意性は天からのプレゼントのように人が人に贈り物をする姿に似ている。
天からの雪と同じように、
伴侶も子どもも、(隣人の有意性)は贈り物です。
わたしたち生きている者は他者への贈答なのです。
父の死の迫っている、また母の死を経験して、また私と雅子との間に生まれた悠子が結婚しようとするこの時期に、アウグスティヌスの愛の概念より『他者は、「人類」に帰属する者「として」隣人なのであり、彼はまた、個々の人間の孤立化の実現から生じる経験、つまり、この人類の中から召し出されたとの召命、およびその明確な自覚のもとで隣人なのである。
こうして神の同一性の基盤に基づく信徒たちの純然たる共同性それ自体から、「共通の信仰」communis fides 、つまり、すべての信徒たちの共同体が、形成されてゆく。
しかしそれとともに、人間の存在は二重の起源に由来していることが、明らかにされるのである。
からわたしが思ったことは。
アダムから始まる人間の起源に主イエスキリストの贖いによる起源が加わることによって人間は二重の起源をもつことで隣人の有意性は人間に重要な知恵を授ける愛と公平の姿を持つようになったということ。
イエスのあなたは新しく生まれなければ神の国を見ることはないということはあなたも良き隣人の役割を荷っている共通世界の一員だと自覚せよという意味なのだと私は思っています。
夜になって雪が積もり
これから本格的な冬になって行くのだろう。
志水さんからもお誕生日のお祝いの電話が入りました。
19日に皆様とお会いできることを楽しみにしています。
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