2024年4月14日日曜日

主日礼拝

 
桜鯛の昼御飯を雅子と戴く。
それから、イエスは、そこをでてツロの地方に行かれた。




マルコ 7:24~31 ツロはイスラエル西方面地中海に面した異邦人の町で
そこでイエスはギリシャ人で、スロ・フェニキアの生まれの女性と会う。


二人が交わした対話は印象的だ
自分の娘から悪霊を追い出してくださるようにイエスに願い続けた。
するとイエスは言われた。
「まず、子どもたちに満腹させなければなりません。子どもたちのパンを取り上げて、子犬に投げてやるのは良くないことです。」


イエスの子犬に投げてやるという異邦人の女性と娘を侮蔑した言葉遣いにわたしたちは意外さを覚えるのです。今ここに異邦人の地に逃れてきたのはイエスご自身ではないか。先ほどの同朋との穢れの論争に心は疲れ荒れて誰にも知られたくないと思われていたという(マルコ7:24)の箇所に現れてイエスご自身ユダヤ人への宣教に随分失望していたのではなかったのかと思われる。
パリサイ人をはじめユダヤ人はみな昔の人たちの言い伝えを固く守って、手を洗わないでは食事をせず穢れについてイエスと論争していた。
「この民は、口先ではわたしを敬うが、その心は、わたしから遠く離れている、彼らがわたしを拝んでも、むだなことである。人間の教えを教えとしておしえるだけだから。」


しかし、女は答えて言った。「主よ。そのとおりです。でも、食卓の下の子犬でも、子どもたちのパンくずを戴きます。」


異邦人の女性のイエスへの屈託のない会話に現れる信頼/神の愛への誰れもの自由な応答/信仰です。「そうまで言うのですか。」
この信頼にイエスご自身どれほど慰められ励まされたことでしよう。母親と幼い娘が救われたと聖書にありますが寧ろイエスさまの方ではなかったかと二人の対話から見えてくる。
現在においても対話によってわたしたちも公共でインマヌエルの真実に与かることができる。

「聖書が今、語り掛ける“共に生きる”姿」 踊真一郎牧師 ← メッセージを聴くことができます。

2024年4月13日土曜日

桜鯛を春の庭で捌く楽しさ

 

壽城へ桜鯛をとりにおいでと烏賊焼きさんから電話をもらう。
新鮮な鯖も一緒にどうぞとのこと。


わたしは鯖をみんなに配り終えて大きな桜鯛を久保さんに捌いてもらった。












奥さんは子供の頃に宍道湖の鮒を親が捌くのを見て覚えたとのこと。
手慣れた手つきで大きな鯛を二枚におろしながら新鮮な鯛の子をとりだした。

春うららな日差しの庭でとりとめもないのんびりした話が心地よい。





わたしは鳥居さんに、久保さんに捌いてもらった鯛の半身を持って、わたしと分けるためにそのまた半身に分けてもらった。





春の森に新緑が芽生えてことりたちがさえずっている暮しの中で距離が一番近い隣人。














2024年4月11日木曜日

白澤さんからネギをとりにおいでとお誘い

 パイロットファームを散歩して帰ると雅子が1時間ほど前に電話があったと言う。                       折り返しするとあんたネギいらんか、 今、畑にいるから取りにおいでとのこと。




原木椎茸も嫌いではなかったら帰りに持ってゆくとのこと。
わたしはなんでも、いただきますと返事する。



白澤さんと別れて、昼の散歩の場所を撮影のために再び車で訪れる。



パイロットファーム









大成池公園





伯耆町ふれあいの森への道




大山パイロットファームの下りの風景







大成池