2013年5月28日火曜日

イエスの名によって集まり三人で讃美する




また、はっきり言っておくが、どんな願い事であれ、あなたがたのうち二人が地上で心を一つにして求めるなら、わたしの天の父はそれをかなえてくださる。

わたしの名によって集まるところには、わたしもその中にいる。




母を御許に迎えてくださることを雅子と確信する。
留津さんの祈りと讃美が、主に届いたからです。



 

2013年5月26日日曜日

躓きについて


母の朝食を介護して京都のコイノニア会に行く。














司会者の基調発言から長崎の隠れキリスタンの弾圧について報告がある。
キリスト教禁止令は明治時代初期まであり岩倉具視使節団も欧米諸国からの強い抗議をうけた。

それに関連して話題は江戸の国学者平田篤胤の思想形勢に聖書が取り入れられていたことを知ったこと。

明治の国家を形成してゆく過程に聖書が影響していたとはびっくり仰天。





イエスの躓きを与えるものへの厳しい叱責は聖書の中でここだけと述べています。

マタイ18 
しかし、わたしを信じるこれらの小さな者の一人をつまずかせる者は、大きな石臼を首に懸けられて、深い海に沈められる方がましである。

ルカ17章
イエスは弟子たちに言われた。「つまずきは避けられない。だが、それをもたらす者は不幸である。

そのような者は、これらの小さい者の一人をつまずかせるよりも、首にひき臼を懸けられて、海に投げ込まれてしまう方がましである。





わたしは時の権力者によるキリスタンの弾圧において、
耐え切れず転ぶ(躓く)人をイエスは一つも非難していません、
躓かせる人を激しく非難しているのですと述べた私市氏に思わず拍手した。






小さきもの、虐げられる者を非難するのはお門違いです。

さらに私市氏は

人が人として持つことのできる最高のもの、何ものにも奪われてはならない
貴重なその人の人格的な霊性です。
これありて真の人あり、これなくば人にあらず「人でなし」です。
 
 
ところが「この世」では、この最も貴重なものが最も粗末にされているのです。
 
その人の人格的霊性よりも、家族とか、会社とか、職業とか、世間的な名誉名声とか業績とか、とりわけ民族とか国家など、人の「基本的人権」よりも「もっと大事なもの」で「この世」は溢れています。
 
「永遠の命」などを真面目に扱っていては「この世」でとうていやっていけない。こう思い込んでいる人たちがほとんどです。






また同じように注意しないと見過ごされてしまいますが、
イエスはもし片方の手か足があなたをつまずかせるなら、それを切って捨ててしまいなさい。両手両足がそろったまま永遠の火に投げ込まれるよりは、片手片足になっても命にあずかる方がよいと言っています。

こんどはあなたが自分に躓くことがあるというのです。





自分に躓くことと人を躓かせることと究極は一緒のところから出ています。
イエスにあってこのみことばをよく吟味してみましょう。





ゲヘナはエルサレムの谷の場所の名前で自分のこどもを犠牲として偶像に捧げた場所であると私市氏は言われる。





ゲヘナは偶像礼拝のために息子や娘など人間を犠牲に捧げる場として主なる神の激しい怒りと裁きを受ける場とされていました。「偶像礼拝」と「人間の犠牲」と「神の呪い」と最終的な「裁きの火」、この四つがセットになっているのが「ゲヘナ」です




「人を犠牲にする」とは、その人の人格的霊性を無視してこれを己の拝む神へ献げることを意味しますから、逆に見れば、「人を犠牲にするもの」は、それが何であれ「偶像」です。人を犠牲にすることを求めることを「偶像礼拝」と言うのです。




イエス様の御霊にある愛は永遠になくならない愛です(第一コリント13章13節)。愛はそれ自体が目的でありほかに目的はありません。だからイエス様の愛は、相手を愛以外の「何かほかのこと」に利用することをしません。このような愛だけが人を束縛することなく、ほんとうの意味でその人を人格的に自由にしてくださいます(第二コリント3章17節)。自由は真(まこと)の愛の特性であり、自由は真理の証です(ヨハネ8章32節)。





パウロが言うように、啓示を通して与えられる栄光の主のお姿は自分自身のあるべき栄光の姿と重なります。聖書がわたしたちに伝えようとしているのはこのような永遠の命です。永遠性を帯びた人格的霊性です。これを見失うことがすなわち躓きであると深く悟ることが「躓き」を知る上で大事なのです。自らが躓かないようにすること、これが人を躓かせない最大の秘訣だからです。


 私市氏の講和 躓きについて より抜粋。

 

2013年5月25日土曜日

肴の、若葉の行商魚屋さんの御届け


























































さつきが美しく咲いています。

風呂から見える欅の新緑がすがすがしく
新緑にバャル氏を懐かしく思い出し、







ウランバートルの春の気分にしたっています。










 

2013年5月22日水曜日

ヨルダンからイスラエルの国境越え



リビアに始まってエジプトへと民主化を求めるアラブの春がヨルダンの隣国シリアにも訪れていた。
アンマンのセミラミスホテルを出発するとき、シリアに行く予定であったのが国境が閉鎖されたとの情報が入ったので、イスラエルに行くことにした。




シリアに近い古代ローマ時代に栄えたジェラシュ遺跡を訪れる。












古代教会跡



アルテミス神殿だろうか丘の上に神殿が建っている。





古代の劇場で、音楽隊が演奏している。











聖書に登場するアブラハムも植えた柳を勝手に想像している。
砂漠でいかにも涼しく憩いそのものだ。




ローマ兵が駐屯していた街は古代でもこんな感じだったのだろう。






ジェラシュ遺跡から近いアジュルンの村にあるフランク人の十字軍侵攻を防いだアジュルン城でアラブの可愛いこどもたちに出会う。














城を跡にしてルート30号をとって砂漠の中にある遺跡を見に行く。
北にシリア西にイスラエル東にサウジアラビアとイラクがヨルダンと隣接している。




中東に来て始めて石油掘削現場を見た。



赤い炎が高い煙突から煙とともにあがっている。














ドライバーの案内した砂漠の中にある遺跡をたずねたが結局わからずじまい。








早々にイスラエルへ入国するためにイルビドの街に進路をとる。









案内板はアラビア文字でわからない、ドライバーは英語が苦手。











トラックの運転助手からイスラエルに行く道を教えてもらう。






ヨルダン渓谷を右に見ながら西に国道10号線を30分ほど走る。








道は南下して死海方面に向かう65号線に変わる、暫く走ると右折れすれば
イスラエルへ入国するための進入道路が現れる。




JORDAN VALLEY CROSSINGSと標識がある。

ここでドライバーと別れなければならなくなった。
この道を通行するためには免許のあるタクシーに乗りかえなくてはならない。
2㎞程先のヨルダン管理事務所に着く。




事務所に着くとひっそりとしている、イスラエルに入国する専用バスが間もなく到着するので椅子に座って待っているようにと言われる。











バスの代金20$支払チケットを購入し、ヨルダンの出国手続きをする。
出国に10ディナールが要った。





荷物をロッカーに入れバスに乗り込む。




夕日が傾き影が長くなっていた。




いよいよヨルダン出国、Good Byeの文字に胸が熱くなる。
イスラエル入国に期待が高まる。





イスラエルまでバスは500mも走らない、途中検察官がバスに乗り込んできて
バスのチケットとパスポートをチェックする。バスの下を鏡で検査する男もいる。
外では筒の長い自動拳銃を持った男が立っている。
こんなに厳重な安全検査をする入国審査に初めて出合す。





イミグレーションオフィースにつくと手荷物を持って手荷物検査場を通過する。
わたしは変圧器を入れていたので、バッグをすべて開くよう指示され厳密な調査を受けることになった。
その後パスポートコントロール、アライバルビザの14日取得。
再度出口で本人確認、やっと終わってイスラエル入国となった。

七時に入国オフィースに入ってから出てきたのは八時を過ぎていた。
エクスチェンジオフィースで398us$を1,328シケルに交換する。
さて町まで移動手段がない、すっかりあたりは夜になつている。

初めての国で闇に迎えられる。
 



この湖が有名なガリラヤ湖、昨夜イミグレーションから白タクで近くのホテルまで行って
宿を捜したが一軒しかホテルがなく満員。いちばん近い大きな町がティベリアという町だという。そこならホテルがたくさんあるらしい。




夜も遅く安全のためティベリアまで行くことにする。
いくらか値段を尋ねる400シェケル、シェケルの相場が解らずUS$でいくらか尋ねる。
100$という、そして着いたのがティベリアの街のAVIV HOTEL。





ホテルからでて目の前がガリラヤ湖と知った時は驚いた、ここに来たかったのだ。
ぺテロもゼベタィの子ヤコブもヨハネもみんな湖とゆかりのある人たちだ。




地図をみるとカペナウムも近い、おまけに真ん中にマグダラがある。
タクシーを雇ってカペナウムに行く。



ローマ兵が駐屯していた街のとおり、ローマ時代の遺跡が今も残っている。









ティベリアの町の中にも崩れて残った石垣がいたるところにある。
ヘロデアンティパスが総督になっていた街がチベリアだ。












アラブとはどこか印象が違って明るい感じがする。