2014年1月28日火曜日

Pernand-Vergelesses 2011



ダニエルが恋しいという娘(悠子)に写真をメールする。
帰ってくればいいのにと思うが、
自分の人生を生きるためには親から自由になりたい気持ちもわかる。





既に人生を歩んでいる娘(悠子)に干渉しようなどとは思っていないが、
むしろ自由な人格ならだれとも(親も含む)愛と喜びのうちに交わってほしいと願うが、
父親と素直な対話ができないところがまだ和解には遠い。



脳内出血した末期の認知症の母親でさえ恐るべし自分の生き方には未だ




こだわって主張する。




介護者に依存しながら生きられない自己主張が誰にもある。




神さまに自分のすべてをゆだねなさいと言う聖書はそれだけで
人には困難への挑戦になる。




美味しいワインに酔いしれて幸福な気持ちになるには容易なことだが、
聖霊に酔いしれるためには人の度を超えてたものがある。





娘のすきなブルゴーニュワインドメーヌ・ドニ・ペール・エ・フィス
ベルナン・ヴェルジュレス白2011を飲みながら罪深さを味わう。


それでもなおワインを飲みながら、罪からくる報酬ではなく
神のくださる賜物を願うのも人というもの。





 

2014年1月20日月曜日

大山別荘から便りが届く


 
大山別荘の管理事務所から、雪のために赤松の木が倒れたと便りが届く。
母の介護でもう二年も行っていないが確りと立っているのに安心する。
 
 





雪の森でも夏の森でもロイヤル・マウントビューのワインが欲しくなる。http://hirojicom.blogspot.jp/2010/10/blog-post_4403.html

酒に酔ってはいけません。そこには放蕩があるからです。御霊に満たされなさい。」エペソ人への手紙5章18節

酒の快楽はわたしだけのもの、聖書の個人の満足や陶酔にふけることを放蕩と言うなら、自分の罪を悔い改め、神の祝福に与かるはず者が悔い改めが自己の満足の域を出ないならばそれは放蕩と変わらない。

聖霊の酔いは他者との共有にあるとすれば、悔い改めに他者との関係が抜け落ちては、喜びを共有出来なく放蕩と変わらないではないのかと問われる。




 

2014年1月13日月曜日

罪の報酬は死という聖書のみことばと生きる母の素顔


死を前にした母に。



罪から来る報酬は死です。と聖書は語る。


   



死を前にして、それでも有難いことです。みことばにしかしが続きます。




そうなのです、みことばとおり




恩恵。が与えられる。





死をまえにしかしで親切が現れてくる。





死を前に然しで絶望と恐れから希望と勇気が現れる。







死を打ち負かす愛が然しで現れます。



























 











 

2014年1月7日火曜日

七草粥




七草粥の七草は日本では若菜つみに野にいでて遊ぶ楽しい行事はあったのだろうが、野が少なくなった今はご近所のスーパーマーケットで手に入れる。
正月七日にいただく七草粥は節分の豆まきとともにこどもには楽しい思い出だ。






平安の宮中行事に記録がでてくる。中国から伝来してきたようで韓国でも15日五穀飯をお祝いする風習と同じ無病息災を祈願する農耕民族の風俗のようだ。




中国や韓国日本は同じ農耕文化を共有している。
平和のうちにそれぞれの地域に儒教や道教、仏教とともに伝播してきた歴史がある。





昨夜、関西空港第一ターミナルから若い宣教に燃えた家族がタンザニアに帰って行った。第一ターミナル南口で福音交友会の人々の祈りに支えられて出発したと思う。
帰宅後こどもたちはナイロビにある学校に寄宿するのですぐ両親と別れて暮さなければならない。タンザニアはイスラム色の強い地域でキリスト系の学校は隣国のケニアにまで出て行かなければならない。




キリマンジャロがタンザニアにあるのをわたしは初めて知った。
仏教伝来もイスラムの伝播も気候風土に影響されている。
インド洋を北と南に吹くインド風という季節風が夏と冬に吹く。
アフリカの東沿岸の港にアラビアやインドから文化が伝来する。




アラビアの音楽にマーカブがある。
http://www.youtube.com/watch?v=Yjp6BBiuV-M  

 
 

アフリカの音楽は大地のリズムでもある
http://www.youtube.com/watch?v=HzJwi5ZufCU  


このアラブとアフリカの音楽の出会うところにターラブが生まれた。
 
http://www.youtube.com/watch?v=yqYY-HnXYZ4 


キリスト教の音楽と

 
アフリカのリズムと出会うところに生まれた音楽がある。
 
 
 
 



アフリカのリズムとキリスト教の音楽とであうのは奴隷として連れてこられたアフリカの人々がアメリカで讃美歌とであう出会いによる。





エペソへの信徒の手紙5章19
詩とさんびと霊の歌とをもって語り合い、主にむかって心からさんびの歌をうたいなさい。 

アフリカの人々の魂である故郷のリズムと神への讃美である歌との出会いはそのままアフリカの人々にとってアメリカでの奴隷生活はイスラエルの人たちのエジプトでの奴隷の状態を解放されたその神への信頼/救い出してくれることを渇望する思い/御力への魂の讃美(ゴスペル)になる。





アフリカの人々のアラブイスラムとの出会いでもギリシャ・ヨーロッパキリスト教の出会いもともに新しい音楽を生み出した。
アフリカの人たちにとって本物の平和に与かるにはイスラムとキリストの間の争いが和解に導かれることだ。









それはわたしたち極東でもおなじこと仏教、道教、儒教、キリスト教の間にある隔てや領有権問題や歴史認識などの壁を打ち破ることではアフリカの人々と同じである。





タンザニアで良い知らせを伝える若い夫婦に平和の神が御手をさしのべ人の罪によって隔てられている人と人に自由を実現させてくださいますように。
悪から救い出してくださいますように。