ダニエルが恋しいという娘(悠子)に写真をメールする。
帰ってくればいいのにと思うが、
自分の人生を生きるためには親から自由になりたい気持ちもわかる。
既に人生を歩んでいる娘(悠子)に干渉しようなどとは思っていないが、
むしろ自由な人格ならだれとも(親も含む)愛と喜びのうちに交わってほしいと願うが、
父親と素直な対話ができないところがまだ和解には遠い。
脳内出血した末期の認知症の母親でさえ恐るべし自分の生き方には未だ
こだわって主張する。
介護者に依存しながら生きられない自己主張が誰にもある。
神さまに自分のすべてをゆだねなさいと言う聖書はそれだけで
人には困難への挑戦になる。
美味しいワインに酔いしれて幸福な気持ちになるには容易なことだが、
聖霊に酔いしれるためには人の度を超えてたものがある。
娘のすきなブルゴーニュワインドメーヌ・ドニ・ペール・エ・フィス
ベルナン・ヴェルジュレス白2011を飲みながら罪深さを味わう。
それでもなおワインを飲みながら、罪からくる報酬ではなく
神のくださる賜物を願うのも人というもの。