ヨルダンのアンマンの空港で愛する人を出迎える家族。
カラク城を訪れる若い家族。
イスタンプールからブルガリアのソフィアにいる家族を訪ねる女性。
ペトラ遺跡で商いする、人々。
カラク城の警備員。
ドバイの地下鉄に乗り合わせた人たち。
ペトラ遺跡から馬車に乗った御者とその連れ。
アカバ湾のボートの船長とタクシードライバー。
イスタンプールエジプシャンバザールのキャビアと香辛料の店主との再会。
イスタンプールの路面電車の前に座った女性。
以上の人々に共通することは、イスラム圏の人たちであるということ。
イスラム圏に暮らす人々もキリスト圏に暮らす人々も、私には、旅人をもてなしてくれる愛すべき人々だった。
それが文化の衝突というべき事件が起こった。
パリでシャルリエブドの風刺に対する反論に言葉ではなく銃弾が、
お互いの偏見を訂正し理解を深めるための共存への動機ではなく、抹殺が行われた。
しかもフランスに住むイスラム系の兄弟による犯行であることが解って来る。
預言者ムハンマド(の冒涜)にかたきを討った」
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それで冒頭のイエスの言葉が まことに、あなたがたに告げます。人はその犯すどんな罪も赦していただけます。また、神をけがすことを言っても、それはみな赦していただけます。しかし、聖霊をけがす者はだれでも、永遠に赦されず、とこしえの罪に定め ...
聖霊をけがすものとは、一人ひとりに宿る神の霊を、すなわちイエスが自らの命で贖われた人間の人格の自由、他者ととともに生きる命/愛を抹殺する行為です。
イスラム教を繰り返し風刺していたフランスの週刊紙「シャルリエブド」の行為にイスラムの人々への配慮があったかはうかがい知れない。隣人を思いやる心にかけていたかも知れない。それを理由にアラー・アクバル(神は偉大なり)」と叫びながら編集者や著名風刺画家ら12人を殺害することは正当化できない。
唯一自由に執成すことのできる聖霊が人を赦し。(言論の自由の根源がここに)
ともに祝福を受けるに値するものへと人々を変えることができる、ことを喜ぶのです。
編集会議に出席していた漫画家の奥さんが震えながら今私たちは日常生活が恐怖のテロに現実に直面している。と語っていた。
過激派組織「イスラム国」にフランスからも多くが参加していることも、社会の不安を募らせている。イスラム国の思想に染まった帰国者が大量殺りくを起こす可能性が現実のものとなった。
国民戦線のマリーヌ・ルペン党首は、「イスラム原理主義」がフランスで宣戦を布告したとし、それに対する強力かつ有効な対策が求められると述べた。
言論の自由な国から寛容が消えてゆくのは、自由にはふさわしくない。
風刺とは自由な寛容な社会でしか生まれて来なく、祖のフランスをこよなく愛したのはステファン・シャルボニエ氏そのひとであったことを心に留めたい。
まことに、あなたがたに告げます。人はその犯すどんな罪も赦していただけます。また、神をけがすことを言っても、それはみな赦していただけます。しかし、聖霊をけがす者はだれでも、永遠に赦されず、とこしえの罪に定められる。