2016年5月18日水曜日

夫婦の昼飯






Domaine Tabordet Pouilly Fume  2014




 

夫婦二人。

昼ご飯をいただいています。




甲烏賊・もさえび・サザエとアボガといただいたわかめ。




隣人とわたしの関係は。



聖霊が私たちの上に臨んでくださるとき、




わたしの都合で選びようがない隣人として生活の内に現れます。



ダニエルのように、


 

わたしの現前にいる隣人として関係しだします。

互いの共通世界をよりよくする(意見を持つ)隣人となるのです。





不思議にもわたしたちのそばに隣人がいることが、そして隣人と関係をもち

平和に生きてゆくことが、日々の食事のように神が備えてくださった

愛の行為・知恵に思えるのです。






あなた自身を愛するようにあなたの隣人を愛しなさい。
                       ナザレのイエス



 

2016年5月17日火曜日

榎田医師にご挨拶

Agenzia Nazionale Stampa Associataによるとローマ法王は
バチカンのサンピエトロ広場で開かれた謁見で、「猫や犬には大きな愛情を感じているのに、隣人の飢えは手助けをせずに放っておく人をしばしば目にする」と述べた。


教皇フランシスコのことでわたしは鳥取医大の一階ロビーで雅子が変形性股関節の手術の担当医師と面談している間に(ナザレのイエスが)生者と死者を裁くために栄光のうちに再び来られますと二千十三年四月二十四日サンピエトロ広場で語った信条について読んでいた。


                                              Chateau Croix-Mouton 2013


イエスが「生者と死者を裁くために栄光のうちに再び来られます」と告白します。
人類の歴史は、男と女が神の像と似姿として創造されたことから始まり、キリストによる最後の審判で終わります。




イエスは公生活の中で、しばしばご自分が終わりの日に来られることについて述べました。

神の子は、すべての人をご自分に引き寄せ、神の開かれたみ手にうけ入れられるように全世界を招きます。



それは、歴史の終わりに、万物が御父に引き渡されるためです。しかし、キリストの最初の到来と最後の来臨の間には「今の時」が存在します。
それがわたしたちの生きている時間にほかなりません。



その間、わたしたちは信仰と希望と愛のともし火をともしつづけなければなりません。




主の再臨を待つ時間は行動する時間です。
わたしたちは行動する時間の中にいます。

この時間の中で、わたしたちは、
自分自身のためではなく、神のため、教会のため、他の人々のために、神のたまものから実りを生み出さなければなりません。




とくに現代のような危機の時代にあって、大切なのは自分の中に閉じこもり、自分のタレント、すなわち自分の精神的・知的・物質的な財産を、主が与えてくださったすべてのものを隠さずに、心を開き、連帯し、他の人に心をむけることです。





このサンピエトロ広場には多くの若者がいます。
人生の旅路の出発点にある皆様に尋ねます。皆様は、神が与えてくれたタレントについて考えたことがありますか。そのタレントを他者のためにどのように使えるかを考えたことがありますか。





人生は自分のために大切にしまっておくために与えられたのではなく、それを与えるために与えられたのです。





もちろんわたしたちはつねに次のことを心に留めなければなりません。
わたしたちは恵みによって、すなわちつねにわたしたちに先だつ神の無償の愛によって、
義とされ救われます。わたしたちは自分独りでは何もできません。信仰はなによりもまず、わたしたちに与えられたたまものです。
けれども、実りをもたらすために、神の恵みはつねにわたしたちが神に心を開くことを求めます。
 

                                           Eugene Blanc 2013


わたしたちの自由で具体的な応答を求めます。



キリストが来たのは、救いをもたらす神のあわれみをわたしたちに伝えるためです。
わたしたちに求められているのは、神に信頼し、いつくしみに満ちた生活と、信仰と愛に促されたわざによって、神の愛のたまもにこたえることです。




親愛なる兄弟姉妹の皆様。
恐れることなく、最後の審判に目を向けることができますように。



それによって、現在の時をよりよく生きるように促されますように。

神があわれみと忍耐をもってこの時を与えてくださったのは、わたしたちは日々貧しい人、小さな人の中に神をみいだすことを学ぶためです。


 善のために努力し、祈りと愛のうちに目覚めているためです。
わたしたちの生涯と歴史の終わりの日に、主がわたしたちをよい忠実なしもべとして認めてくださることができますように。



わたしは鳥取医大の榎田医師に診てもらっている雅子を待つロビーで教皇フランシスコの演説が人々に届くためにはひとびとが聖霊にたすけられなければ自力で誠実に自分の努力で行おうとすれば疲れ果ててしまうのを知っているので、復活の主ナザレのイエスの霊がその人に臨まれるように教皇ととともに祈った。

主よひとびとのうえに聖霊を来たらしたまえ。

 

2016年5月14日土曜日

主によってHappey RoseGardenのご招待に与る


別荘の人ではなく、大山の地に住む隣人よりわたしたち夫婦が初めてご招待を受ける。



Happy Rose Gardenの幸本さん、私たちにとって大山ロイヤルホテルの露天風呂でお近づきになった方と言ったほうがふさわしい。


ホテルショツプの中村さんから「大山てくてく工房めぐり」として久古の方たち主催のスタンプラリーパンフレットをいただいていた。


大山焼久古窯・かえる工房・八郷の里そして幸本壽美子さんの薔薇のお庭。
この薔薇園だけが(露天風呂で出会う)美しい主婦の方で興味を抱いた。


御嬢さんのブログによると母は一本の薔薇を畑に植えたことによって始まったとHappey Rose Gargenの歴史を語っている。




四季折々の花を楽しめるように庭に植栽する草花を工夫されている。


梨の選果場だった古民家を上手にガーデンの備品物置兼キッチンとしてご利用されている。


パラソルの張られたガーデンテーブルの椅子に座ると谷川の水の流れる
優しい音が耳に快く入って来る。




やっと最近自分の思う(人様にお見せできる)庭になってきたとおっしゃつている、雑草と庭の配置の手入れに明け暮れる労働の日々をわたしたちは想像できない。


極楽とんぼな夫婦には美しい庭をこれまた能天気に味わうことに終始している。





お庭の手入れで膝が痛くなり腰が曲がりながらも。自分が引き受けた労苦は美しい花を咲かせることに喜びを得ているからと思っていたのが、実はそれ以上に喜びがありました。一緒に美しい花を愛でる隣人がいること、お互いにともに人生を生きるに値する喜びをこのテラスで薔薇を話題(きっかけ/ご縁)にして親しく語り合えるお友達のできることと同時に隣人の幸福なお顔に触れる(出会)出来事に本当に喜びがあったのだと気づいているのですと語っておられた。


美しいもの。旨いものと葡萄酒に目がない夫婦の楽しみを今日十分に堪能させていただいています。


わたしは幸本さんの証しを伺ってパウロのピリピの手紙と同じものを感じた。







わたしたちが大山に引っ越してこなければ味わうことができなかった手作りのドライフルーツ入りのケーキと紅茶を薔薇に囲まれながらいただくイギリス風な幸せを与えてくださった主に感謝します。




































たむらとぽぷらによって昼飯を買って帰って来る。





ダニエルが出迎えてくれます。








雅子曰く人々に愛される庭を開放維持されている壽美子さん素敵。
主が御顔をむけられ祝福されますように。