2012年1月21日土曜日

美容院へ

Le Petit Havt Lafite 2007 By Smith Havt Lafite Pessac Leognan




日赤病院の美容室で髪をカットして紫に染めようとしたが、前に染めた黒が邪魔をする。




暫く待って髪が伸びて白髪になってから染めるようにした。




気持ちよさそうに髪を洗ってもらい、眠りから覚める。




津浦の健ちゃんからもらった、駿河屋のカステラを散髪のあとでおいしくいただきました。









2012年1月20日金曜日

食欲とあたりまえに食べられることの不思議

Chateau CAP DE FUERES 2004 Cotes-de-Castillon


食事は当たり前にできるとおもつていた。




食物を
スプーンで入れると舌で吐き出す。



お魚をよくかんでいたと思うとチューインガムのように吐き出す。




食事を促すと、もういらないと言う。

食べないと死んでゆくよと言うと

『死んでもいいと』言う。

ほんとうにぼけているのか、この強い抵抗する力はどこから湧いてくるのか。



2012年1月19日木曜日

日赤病院で自宅に帰るために看護師と会談する

Grand Vin Chateau Poujeaux Moulis-en-Medoc 2008


二日にわたって鍋、寒い冬の晩はおいしいワインと暖かい鍋がなにより。




自宅で母親を介護するとなると主治医とケアマネージャと相談して

母の現状に即した介護プランを作成する必要がある。






こんな時介護保険が助けになる。

地域のいとうまもる診療所の伊藤医師を訪問し自宅で介護したいので

主治医を先日お願いした。





早速ベツトと車いすと風呂の椅子と水洗トイレの修理が必要になる。




日赤のDayルーム食堂で母の食事を介護する。

嫌いなものを舌で押し出す母の態度に腹を立てて怒鳴りだす。






母はおちょくった態度でわたしに訳の分からない言葉で、自由な食事を要求する。

困ったことに食べない自由は赤ん坊と同じ安らかな明日を願う期待を困惑させる。








2012年1月17日火曜日

母が飯を食べる

La Dame DE MALESCOT 2006 MARGAUX


今日は変化の日 約束どうり栄子が母の病院介護から自宅にもどつていつた。



 弁当が母の昼飯に。バナナ1/3 と 小さなおにぎり2個



バナナは甘いと嬉しそうに。おにぎりもおいしいとぱくついている。

赤ん坊のようによそ目したり、訳の分からないことをしきりに言ったりしながら。





それでも、弁当を勧めるままに全て残すことなく見事食べた。 





感激のあまり看護婦に弁当の殻を自慢げに見せびらかせた。

みんな褒めてくれた。



鼻からの高カロリーの栄養剤と共に母の弁当を憩いルームで頂いた感激を味わう。



2012年1月15日日曜日

母の天国までの日々


定年退職して二年たつと健康保険も企業から役場の運営する国民健康保険に変わる






年金だけだと、保険料も少ない、医療費の負担は三割、母親は一割。







脳出血の跡もずいぶん小さくなってきて、母はリハビリのおかげでトイレも


食事も希望がもてるようになってきた。






日赤病院から、自宅に帰って生活を地域の医療看護とリハビリ介護の支援を受けて


看取ろうとおもつている。




ダニエルの散歩以外することがないわたしに楽しい日課が与えられて幸福感に浸っている。







2012年1月11日水曜日

母親の転院


日赤の母の主治医津浦光晴医師に一月五日のMRI撮影の結果説明を受ける。




認知症がすすむと食事がとれないらしい。

リハビリで食事がとれれるようになれば完治したことになる。




和歌山日赤の医療連携課より転院の電話が自宅にあり、自宅で介護するための連携リハビリ医療病院を紹介してもらえるように希望を伝える。





2012年1月10日火曜日

人と人の繋がり


父と母の対面は感動的でした。
夫婦は (神が結び合わせた) 不思議な繋がりです。

パウロも神との不思議な繋がりがあります ━ ステパノとのつながりです。
息を引き取る叫びまでパウロの記憶にあり、己の信じるイスラエルの神にクレッションマーク(疑問)を感じ始めた。━ 

一連の現実の人の行為はパウロをクレッションマークで目覚めさせ、
イエスのパウロへの復活の証に生きることを躊躇しないまでに彼をかえたのでしょう。







彼が虐げた人々に対して負い目を負い(その人々の誠実も含めて)彼を強くしているのです。

パウロは現実を生きる人と人のつながりの中で強くされたのです。
自分の意思や決意よりも、他者との関係の真実にイエスとの繋がりを知ったからです。

イエスが復活したのです。







パウロのことばに生きるにしても、死ぬにしてもキリスト
のために。
という言葉は圧巻です。