2011年5月26日木曜日

五月二十六日 ペトラ遺跡







彼はハッサンといって、毎日このペトラの岩山を馬と一緒に駆けずり回っている。


お蔭でいたって元気。 とても75歳とは思えなかった。






恐ろしい程の高度感。 この下が有名な宝物殿。








ベトウインの女はロバと一緒にここに住み着いている。


美しい手作りのアクセサリーを飾っていた。






こちらはベトウィンの異母兄妹。父親は二人の女性を妻に迎えている。
おいしい紅茶をふるまってくれた。


ナバテアの古銭を12ヨルダンディナールで手に入れた。
























2011年5月25日水曜日

五月二十五日 PETRA Venus Hotel













カラク城Kerak Castle にて二人のヨルダン人と話す。左のひとは60才だとか。
この城は12世紀十字軍によって建設された。






モアブ人はカラク高原にすんでいた。キル・ハセレトという名で聖書に出てくる。第二列王記3章








ペトラは前1200年ごろからエドム人(創世記36章)が住んでいたが紀元前1世紀ごろアラブ系ナバテア人がスパイス交易上キャラバン隊中継基地としてエドム人を吸収駆逐しここを支配する。


その後ローマの将軍ポンペウスにより征服されローマの属州となる。






ペトラの町とペトラ遺跡が見える。ペトラとはギリシャ語で岩を意味する。



ペテロも岩を意味していた。


あなたはペテロです、私はあなたの上に教会をたてます。












Madabaの街を午前9時に出発、ペトラ遺跡の町
Petra venus hotelに 午後3時に到着する。

そのまま部屋に入り、今日の旅を終える。






2011年5月24日火曜日

五月二十四日 モーセが死に臨んでみた約束の地をわたしも今見る。



ヨルダンの旅行が楽しいものになりそうな予感。






死海へ行くまでにロバに乗る少年と出会う。










The Dead Sea





園内観光バスに乗り換え主が受けられた洗礼の場所へ




ヨルダンでボルネオ、ルーマニア、フィリッピン、インド、エジプトの人々と出会う。











ネボ山とモーゼ
ネボというよりピスガと言った方がピンと来るかも知れない。








五月二十三日 無事Ammanに到着する


優しい微笑みに迎えられて、ドバイからアンマンヘ旅立つ。











アンマンのイミグレーシヨンでアライバルVISAの取得にお金はいらなかった。




前回の教訓から、滞在場所に五つ星ホテルの名前と住所を調べておいたのでスムーズに入国手続きが完了する。






税関を通り越して、外に、旅行代理店を探すもなかった。




白タクの運転手が声をかけてきた。




市内のいいホテルまでいってもらい、チェックイン朝食付きで60デナル。




アカバ往復6日間400USドルで彼を雇う。




明日9時に迎えに来る約束。




ヨルダンの世界遺産を今晩蒙勉強することになる。









彼はホテルのボーイでエジブト出身、故郷を懐かしんでいた。












2011年5月23日月曜日

五月二十二日② ドバイのナイトクルーズを楽しむ




明日はエミレーツ航空でドバイ国際空港午後2時発アンマン国際空港午後4時15分着。
ホテルを11時にチェツクアウトしてもok、今夜はゆっくりと羽を伸ばす。





食事のあとマジツクで盛り上がった。






船はドバイの港を光を放ってクルーズする。















2011年5月22日日曜日

五月二十二日 ジュメイラショツビングモール



インドでは牛たちと同じように土くれのような上で食事した。
ドバイに来て初めて
注文してCoffeeとケーキを食べることができた。
しかもクーラー付の店で。





豪華なモールはまるでミラノのようだ。
ヨーロッパの香りもそこはかと漂う。