2010年7月27日火曜日
味わってみる
神が清めたものを清よくないといってはいけない。
ペテロのみた夢のなかで、個人的な夢がどうして地をはうものや獣をほふって食べなさいと神があらわれそのあと神が清めたと判断しているのかその根拠はどこにもなく、ペテロの夢という恣意的なものでしかない。恣意的な自由の判断のなかに、あたらしい展開がローマ兵コルネリオへ新らしいよい知らせが伝わった。
牧師はこれを神の啓示と言う。
わたしはこれを個人の自由な思いつきあるいは恣意的な発想、判断と言う。
聖書はこのように個人の恣意的な自由判断や意志が記載されている。
ハウロの場合はわざわざこれは個人的な意見と言いながら聖書に載せられている。
いづれにしても、躍進とも言える異邦人に御霊が下る事件はこのように個人の恣意的な発話のなかから生まれている。
もうひとつ大事なことは、
ステパノから始まりアナニアによってサウロの目が開け、コルネリオによってペテロの改心が生まれたように、
おおくの異質な他者との出会いによって、新たな境地が開けてくる。
ワインの味わいの境地を広げるべく、ボルドーからは異質な他者南アフリカのワインを
味わってみる。
CATHEDRAL CELLAR 2007
時計を盗られたといったら、殺生やなあと慰めてくれた。
二回も入るなんて、緒つとなめていると一緒に腹を立ててくれる。
そして、あんたいい時計もちすぎてたんとちがうんとやんわり分不相応のわたしを批判。
松田さんは異質な他者です。
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