2026年4月20日月曜日

山陰湯村温泉湧泉の宿へ

 


新緑の森から但馬牛の味わいにゆあむに











お昼は岩美の日の出ラーメン









鳥取と兵庫の県境の美しい村を通る。









午後二時宿に到着











ウエルカム珈琲の後、部屋に。













温泉に入り夕食は午後7時より、




2026年4月17日金曜日

明日の聖書と祈りの会の準備

 聖書箇所 創世記1章1節~3節 ローマ4章 ガラテア4章



白澤さんから戴いた酒粕で粕汁と赤鰈のお昼ご飯。



結論 御言葉によってわたしたちは新しい時代をヤーハ(創造)する自由の相続人。



ローマ4章16節 世界の相続人になるというみ言葉の意味。
具体的には、カナンの地(創世記)の約束を背景にして、最終的には「神の国の相続」を指す。

ここでの「世界の相続人」とは、単に土地を所有するという意味ではなく、「神の祝福のすべてを受け継ぐ者」という意味です。

アブラハムが神から「世界(すべての民族)の父となる」という約束をいただいたのは、彼が律法を守ったからではなく、神には約束されたことを成就する力があることを固く信じたからで、それが彼の義とみなされたのです。

もし「 正しい行い(律法) 」が条件なら、誰も完璧にはなれないため、相続人にはなれません。しかし「 恵み 」に基づいているので、アブラハムと同じように信じるすべての人 (ユダヤ人も異邦人も) が、神の財産を受け継ぐ相続人(子ども)になれるのです。

ガラテア4章24節 一つはシナイ山からでており
パウロはここでアブラハムの二人の妻(ハガルとサラ)を比喩(たとえ)として使っています。
シナイ山からでたものとは、モーゼを通じて与えられた律法の契約を指します。

女奴隷であったハガルから生まれた子は、当時の社会では「奴隷」として生まれます。
それと同じように、シナイ山で結ばれた律法に縛られる人は、罪や罰の恐怖に縛られた「奴隷の状態」にあると、説明します。
これに対して、もう一方(自由な女サラ)から出たものは、約束に基づいた「自由な子ども」を象徴しています。





ここで面白い聖句を考えていただきたいと思っています。
ガラテア4章の26節~27節です。
特に「喜べ子を産まない不妊の女よや夫に捨てられた女の産む子どもは」の聖句




イザヤ書54章の引用です。

バビロン捕囚という絶望的な状況(不妊の女)から、神の憐れみによってイスラエルが
劇的に回復し、子孫が増え広がるという希望と永遠の愛(平和の契約)を約束する章です。




次の日はエンドウ豆ご飯と粕汁


わたしたちの絶望的な状況から神の憐れみによって希望と永遠の愛すなわち自由が生れるヤーハするというこの福音は創世記の1章1節から変らずわたしたちに啓示されています。


ハガルが絶望的な状態でイシュマエルの死を受け入れたときにも神の憐れみによって
希望と永遠の愛すなわち自由が生れるヤーハするということが創世記21章にあります。


パウロの約束から生まれたイサクの子孫にも、奴隷から(肉の身)から生まれたイシュマエルにも神の希望と永遠の愛すなわち自由が生れるヤーハすることはわたしには興味深い感動が与えられます。


イエスのみ言葉にある天の父の分け隔てのない慈愛の公平さを確信させてくれます。


天の父は悪人にも善人にも太陽をのぼらせ正しい者にも正しくない者にも雨を降らせてくださいます。

そうです。誰れもが、創世紀1章2節にある分け隔てのない慈愛の霊公正の霊自由の御霊を闇の中で持つのです。




鳥居さんからは焼き立てのパンを戴きました。早速朝食に。





大山の森は一雨一雨新緑が増してゆく。


不妊の女に子を与え



死人を生かし無から有を創造される御力が窓辺に見られます。これに信頼すれば、