2026年7月6日月曜日

大山の森がワールドカップとウインブルゾンに魅了される

 



雨が降ったり止んだり、去年刈りこんだアジサイが美しく咲いています。




ユウアイパルで温泉に入り、ホックで買い物して過ごしています。





境港に水揚げされる生の本マグロをマグロ丼にしていただく。

 

酒とみりんと醤油でモズクにかかっているような甘酢を作りマグロにふりかける。




Aryna Sabalenka V Naomi Osaka      2026 Wimbledon




大坂世界1のサバレンカを破る 初の準々決勝へ進出 BBC









2026年FIFAアメリカカナダメキシコ大会のブラジルーノルウエー戦を楽しむ。






日本を破ったブラジルとノルウエーの戦いを見てニーラン選手やハーランド選手に参ってしまう。
















2026年7月2日木曜日

ひとりは寂しい

 


庭の草を刈った。

刈ろう刈ろうと思っていてもなかなか刈りだせない、刈り終えて充足感がやってくる。







美しい庭をみて、雅子の帰りの日を思う。                         悠子に庭の草を刈ったと言っても(それがどうしたの?)無言だけ。




庭よりも夏休みの子供のことに。                                   花帆ちゃんは海に行きたいらしい。チー君はぼんやり家ですごしていたいらしい。


美保が関の日本海側にいったら美しい浜があると言うと皆生温泉で遊びたいようだ。




 1人でも自炊できてる!



 

   綺麗

 蛸ぶつときゅうりとあま酢で美味しかった。




 
美味しいスパゲッティ、花帆ちゃん良かったね。
大山で会えるのが楽しみ、和子姉12日病院で術後(ある程度の回復の)結果がわかるようです。
雅子は15日までに大山に帰宅予定。

そういえば、米子でスーパーで強盗のニュースしてた。




貧しくなって貧すれば鈍す。                             季節の美味しいものを美味しくいただける暮らしを味わいたい。




泥棒もわるいけど派遣で追い詰められる社会はもっと悪い。政治問題。


2026年6月28日日曜日

雨上がり

 コイノニア会がありテモテ2章を聖霊により語り合った。



サウロサウロわたしをと声をかけられて以来目からうろこを落としたパウロであるが、
テモテ2章1節の勧めを語りながら、11節から16節の女に対しての聖句はほんとにパウロがそう言ったのと思える違和感がした。

主の共同体(教会)を形成してゆくパウロが、キリストにおける新しい共同体のあり方(ガラテヤ3章28節の「もはや男も女もない」)を説いた一方で、教会の秩序と平安を保つために保守的な選択をしたことが、興味深く参加者からより激しいパウロ批判が上がっていた。



久しぶり公園で遊びます。



「女性は教会で発言を控え、従順であるべき」とする教えは、パウロが直面していたエペソの特殊な女性優位の地域事情 が影響しています。

エペソはアルテミス神殿の中心地であり、神殿売春や神秘主義的な慣習が教会内に持ち込まれ、混乱を引き起こしていました。それに当時蔓延していた(ギリシャ哲学)グノーシス的な聖書解釈では「エバが先に騙された」という創世記3章の教えが、(女性の霊的な優位性を表すことになり)これに対して『神に由来する力で・・・神の知識に逆らうあらゆる高慢を打ち倒すための』パウロの反論でした。    

今日において、この記述を時代や文脈から切り離し、「普遍的な女性蔑視の教理」として固定化してしまうことへの反発があります。




男性が支配し女性はそれに従うという構図は、基本的人権や男女平等という現代社会の倫理観と深く矛盾します。
今日では、家父長制的な文化を神聖視するのではなく、ナザレのイエスが示された
「わたしがあなたがたを愛したように、あなたがたも互いに愛し合いなさい」ヨハネ13:34
マルコ12:31「第二の掟は、これである。『隣人を自分のように愛しなさい』」
「互いに愛し合う」「すべての人は神の前に等しい」ナザレのイエスの言葉に基づき、
聖書を読み直そうという主張がされています。



久留米は台風の被害がなかったようです。



和子姉はリハビリに励んでいます。



わたしは大山でひとりで食事を作り一人戴きサッカーワールドカップを楽しんでいます。
日本は決勝トーナメント戦で30日午前2時にブラジルと対戦します。起きてられるかなぁ。


朝食はフルーツサラダとトーストと牛乳と珈琲。



第一コリント11章などにもパウロが女性も教会で祈り語るためにルールを述べているように、初期教会において女性も祈りや預言(教えを告げること)を行っていた事実があります。
それにもかかわらず、テモテの箇所の言葉が女性の牧師や指導者への道を閉ざす「教会法」として悪用されてきた歴史があり、これに対する神学的な批判やフェミニスト神学からの問い直しが続けられています。





洗濯機で洗濯し雨のため部屋の中に干す。



共同体を形成する時、時代の要請や人々の願いとナザレのイエス(神のみ言葉)と相違するとき、
その時どのようにしたらいいのか一つのヒントが今日の久留米キリスト教会の説教から得られるのではないでしょうか。







サムエル記上8章は、イスラエルの民が「自分たちも他の国々のように王が欲しい」と神に要求した場面を描いています。
当時の要請や人々の願いは、「目に見える王を立てて自分たちを守ってほしい」というものでした。しかし神は、それは「神を王とすることを捨てることである」と警告しました。


ここから得られる教会の共同体形成に対するヒントは以下の通りです。
  • 人間の願いの相対化
    民が求めた「他の国々のような王」は、安全保障や秩序という時代の要請を満たすものでした。しかし、神はそれを「民が神を王とすることを拒む道(惨禍)」であると指摘しました。教会が共同体を形成する際、多数決や時代のトレンド、人々の切実な願いであっても、それが神の意志に反するならば、立ち止まって見極める必要があります。
  • 神の意志への謙虚な服従
    民はサムエルを通して語られる神の警告を聞いてもなお、「自分たちには王が必要だ」と要求し続けました。共同体の運営や制度設計において、人間の理想や願いを優先させすぎると、やがてそれは偶像礼拝となり、本来の目的から外れてしまいます。
  • 賛歌に至るための問い直し
    神は民の願いを最終的には聞き入れ(王を立てることを許し)つつも、その結果としての苦難(王の圧政)を経験させます。      
    教会の歩みにおいても、時に人間的な判断を優先させてしまう弱さがあることを認めつつ、常にみ言葉(イエスの愛と解放の福音)真理永遠の命に立ち返り、神のみ旨を問い直すプロセスが不可欠です。






テモテへの手紙第一2章11〜16節の女性に関する記述も、
当時の古代ローマ帝国の社会的要請や文化的な背景が色濃く反映された教訓です。
今日の教会が共同体を築く上では、時代的な制約と、ガラテヤの信徒への手紙3章28節にある「ユダヤ人もギリシャ人もなく、奴隷も自由人もなく、男も女もありません。あなたがたは皆、キリスト・イエスにおいて一つだからです」というキリストにおける普遍的な解放とが交錯してあるリアリティを(何時の時代も変わらなくあることを)認識しておく必要があります。それ故わたしたちは二つのものを一つにする主の知恵(愛)が聖霊により求められているのです。




共同体の形成において、
時代の願いと福音の間に相違があるときは、「自分たちの願い(王)」を絶対視せず、
ナザレのイエスさまが示された「愛と仕え合い」(デモクラシイ)の聖霊をもって、
絶えず祈りの中で方針を吟味していくことが、「賛歌(神を賛美する歩み)」へと繋がる道が拓けてきます。
















わたしを食べるものはわたしによって生きる。
朝が来るたび毎朝朝食をつくり風薫るのドラマを見ながら食事を戴く。