2026年10月23日金曜日

勝利はウクライナの人々の祈りに訪れるウクライナの賛美歌とともに



「平和は巨大な妥協」ゼレンスキー大統領が語るロシアの戦争犯罪と残虐行為





ウクライナ向け「スターシールド」制限、ホワイトハウスが指示=当局筋






ウクライナへの祈り

主よ 偉大で全能なる主よ 我らのウクライナを守り給え

自由と平和の光を恵み給え そなたの聖なる光で

学問と知識を教示し給え そなたの小さき子孫たる我らに

純粋で永遠の愛の中で 主よ我らを成長させ給え






全能なる主よ我らは祈る 我らのウクライナを守り給え

我らの民我らの祖国を救い給え そなたの慈愛で

自由と知恵を恵み給え 我らを善き世界へ導き給え

主よ民に与え給え 永遠に 永遠に




チー君はロシアのウクライナ侵略の時に生まれました。満四歳。
チー君と同じように生まれたウクライナのこどもたちの日常がロシアの戦争犯罪者に奪われたままです。




トランプ大統領の平和交渉が悪辣で戦争犯罪者に加担しウクライナの人々に犠牲を強いるもので、流石アメリカ国内の心ある人々からの批判が多くあがっています。

ゼレンスキー大統領の停戦への呼びかけはかけがえのない人々の日常を(命を)救うためには善き隣人の始まりの一歩で、冒頭の平和は巨大な妥協(寛容/赦しによる恵)の言葉に頷けます。
一方祖国の防衛に多くの犠牲者をだしたウクライナの人々は平和や停戦にはロシアからの暴力と侵略に晒されない日常すなわち主権が尊重されることとそのためのNATO加盟などの強固な安全保障を求めています。

主よウクライナの賛美歌にあるように慈しみとまことが出会いますように、正義と平和とが互いに口づけできすように。
   大いなる御力の創造主の赦しの聖霊(知恵)がわたしたちをより健明により自由に(隣人)と愛(理解)し合えるようになれますようにお祈りします。


2026年10月16日金曜日

Chateau de Lidonnne 2015

 


高島屋にお節の注文をした。今年は地元山陰の老舗料亭旅館西村屋のお節にした。




わたしと雅子の喜寿のお祝いを無門とレストラン原でする。
無門は11月原は12月に、宿を一畑ホテルに予約した。












Chateau de Lidonne 2015












秋はFall(落ちる)というのはよくわかる。









庭が頻りに降り落ちてくる落ち葉で埋まってしまいました。

















2026年10月12日月曜日

秋の恵みを主に感謝する

 






大山の森に居る若い娘さんから森で拾った栗を戴いた。                                                                   八尾と大山の森を行き来して暮らすの高齢の白澤さんから(丸山の善き隣人の畑を借りて)自ら耕し手作りした茄子を戴いた。








栗は栗ご飯にして。                                 茄子は煮物にして白ネギと一緒にしていただいた。


ホックの鰆も西京焼きにして、雅子と一緒に蛸と胡瓜の酢の物とともに昼ご飯に戴く。






主より賜る美味しい贈り物。




大山の森に湧き出る温泉もメルキュールの露天風呂で零れ落ちる音を                 全身に朝ごとに浴びて喜びを味わっています。
                                      



あなたの隣人をあなたのように愛しなさい。



レビ記19章9-10節に記されている落穂ひろいの掟は、旧約聖書の律法に「隣人愛」を個人の中にとどめず、社会的なセーフティネットとして『お互い様を具体化する』実践的な教えです。

同章の18節にある「隣人を自分のように愛しなさい」がこの9節-10節に具体的に示されています。



                                                 花帆ちゃんの誕生祝にもらった小石原焼の花生け


「あなたたちの土地の収穫を刈り入れるときは、畑の隅まで刈りつくしてはならない。収穫の後の落穂を拾い集めてはならない。ぶどう畑の落ちた実を拾い集めてはならない。それらは貧しい者や寄留者のために残しておかなければならない。わたしはあなたたちの神、主である。」


神の愛はあなたの隣人愛すなわち社会的弱者への配慮と尊厳の維持を伴って初めて地に自然が豊かにうるおされるように人々の暮らしも(正義と公正の共通の感覚をもってCommonSence)平和に潤うことを聖書は語っています。






この聖書箇所を現在(特に世界の政治に影響力の強いリードするアメリカ)の政治に何が必要か捉えてみると






相手の「尊厳」を守る仕組みがまず第一に欠けていると考えられます。
この律法は、富裕層が貧しい人々に直接施し(パンやお金)を「与える」形をとっていません。
あえて畑の隅を残し、落穂をおとしたままにすることで、貧しい人々や寄留者が「自分の手で労働して糧を得る」余地を残しています。これにより、生計を立てる権利と人間の尊厳が守られる仕組みとなっています。





次に私有財産の「絶対化」の制限です。
土地の所有者であっても、その収穫物を100%完全に独占することは許されず、社会の弱者のために一部(畑の隅や落ちた実)を開放することが義務付けられています。
「地とその中にあるものはすべて主のもの」という聖書の土地観に基づき、私有財産を社会全体で分かち合う「公」の意識が組み込まれています。






三番目は対象を「寄留者(外国人、社会的弱者)」にまで広げる普遍性を持つことです。
身内や同胞だけでなく、土地を持たない「寄留者(いわば難民や外国人労働者のような存在)」をもセーフティネットの対象に含めている点は画期的なことで注視するところです。
排他的にならず、コミニティに存在するすべての弱者を包摂する「お互い様」の精神がここにあります。






ナザレのイエスは、律法の中で最も重要な掟は何かと問われた際、「神を愛すること」と「隣人を自分のように愛すること」の二つを挙げ、「これらに勝る掟はない」と答えました。(マルコ12:29-31)





つまり、目に見えない神を愛することの行為は、目に見える「隣人の尊厳を守り、愛すること」を通じて初めて地上に神の国が具現化するということです。






レビ記やマルコによる福音書にある『隣人愛』は抽象的観念にとどまらず、分け合うこと、手を差し伸べること、祈り心を配ること、喜び愛すること、目の前の人の尊厳を大切にするという日々の暮らしそのもの(お互い様のかたち)のなかに主なる神は天の御国をご用意してくださっているのです。