わたしを食べるものはわたしによって生きる。
六月に入って初めての主日礼拝に教会では聖餐式が行われている。
わたしたちは二つの教会の礼拝に参加した。
一つめは久留米キリスト教会 「3つの視点」
山里将之牧師 テサロニケ人ヘの手紙第一5章20
ロシアの侵略によってウクライナの人々の自由への戦いについて神はどのように支援されているのかという思い。
『愛にあふれた自由の聖霊(神)が今わたしたちが出会う世界に起こる出来事をとおしてどんな真理を語っておられるのか』
ウクライナとロシアを日常の個人に置き換え考えると、生まれながらの個人は好き放題な思いを持つことは神が与えてくださった個人に与えられた自由な視点です。その好き放題の個人の自由の視点である独裁的視点(エゴ)の立場が問題を起こすのです。
つまり生まれながらの個人が地上で一人きりで暮らしていないので自分以外の個人がそれぞれ個人と衝突して問題になるのです。
果たしてそれを避けるには個人は自分以外の個人の視座を尊重することができるだろうか、またそれ以上の複数の個人とともに祝福に値する第三の神の視点(世への愛公共性)の視点にまで個人の視点が転換(成長)することができるのだろうか。そういうことが個人として共生において問題になってくるのです。
すなわち個人の自由を基礎とする政治(民主主義)が優れた政治体制として人類に確立されていくには生まれながらの個人がもつ第一の視点に他の視点を加えて三つの視点間を自由に個人が移動することなしには(聖霊が関与することなしには)自から個人の視点に基礎を置く民主主義が破綻してしまいます。
現在わたしたちが目にしているアメリカ(過去に日本人が秀でて見えていた)デモクラシイが危機を迎えた原因はアメリカ大統領を選ぶアメリカ市民が生まれながらの自由の第一の視点に退化したまま第三の視点に展開できないまま政治を行っているからなのです。
預言をないがしろにしてはならないというみ言葉は真実です。
アメリカ・デモクラシーの危機と「預言」の真実
アメリカの民主主義を支えていたのは、精緻な政治制度そのものよりも、人々の根底にあったキリスト教的な信仰心とコミュニティの絆でした。
「預言をないがしろにしてはならない(テサロニケの信徒への手紙一 5:20)」という御言葉通り、神の語りかけや普遍的な真理、道徳的な指針を軽視し、目先の利益や党派心に走ったことで、アメリカ社会が自滅しています。
「預言をないがしろにしてはならない(テサロニケの信徒への手紙一 5:20)」という御言葉通り、神の語りかけや普遍的な真理、道徳的な指針を軽視し、目先の利益や党派心に走ったことで、アメリカ社会が自滅しています。
人間の自由を認めつつ、その自由が破滅に向かわないための政治をいかに保つかという問題は、常に人類に問われています。
この危機の時代において、全世界に出て行き福音「第三の視点(神の視点・公共性/ 世への愛)」を宣べ伝えよと預言の言葉を聞く者すべてにナザレのイエスが命じられているのです。
詩篇133篇
主はそこにとこしえの いのちの祝福を
命じられた。



