広島と岡山の駅で買ったもみじ饅頭と大手饅頭をみつめて(今回の旅行で)判ったこと。
大山の森の生活の広がり、わたしと雅子の森の生活は中国山地の生活の中にあるということ。
一分が全体をささえている。すなわち一部が崩れると全体が崩壊すること。
白澤さんが西瓜を手に吊るしてやってくる。
わたしたちが広島にいた時電話があり。それじや明日訪問すると約束道り。
ウインドウズの古いバージョン8.1のパソコンではラインサービスが終了して繋がらなく、悠子たちとパソコンでは連絡できなくなる。携帯の方では今までどうり繋がり写真もみれるが、パソコンと同期ができない。
便利な世の中なのにインターネット提供主に利用者は支配されている現実を味わう。
それで悠子とウインドウズ95の時から使っているメールでやり取りすることになる。
写真は添付ファイルで解決。
花帆ちゃん夏休みの宿題頑張っています。
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