菊乃井のお土産の松茸弁当を四条で朝食に戴いた。その時はまだ満月までは六部半の太さだった。思い出が再び復活する。
わたしの質問「何故アメリカはイスラエルに加担するのか」それぞれに意見を述べていた。
アメリカはキリスト教国とくに福音派は旧約聖書の民族への郷愁と親和性があるのだろう。国際的な金融グローバルキャピタルのユダヤの資本に頭があがらないのかもしれない。政治的にはロビー活動がアラブよりユダヤの方が優れている。軍部は中東にヘゲモニーと権益基盤を確保するためにユダヤとアラブの争いのあることを利用しているのかもしれない。イランとサウジの接近を中国が図っていることへのハマスの焦りを利用してイスラエルと共同でイランの中東支配をつぶすと同時にロシア中国に対抗を明確にして分断を図る。
このような政治ゲームの中で割を食うのが市井の人々。一般市民。今や世界は無力な市民が国家の横柄な政治による被害から逃れ平和に暮らせることを連帯して求める時期が来ている。
一国の中に分断をおこして弱くして支配する統治のあり方。戦後の日本もアメリカ軍は朝鮮戦争勃発後、反共勢力を支援して巣鴨の戦犯を傀儡として国民の分断に利用した。統一教会すなわち反共を目的に韓国の勝共連合をアメリカCIAが策動して巣鴨の戦犯と結び合わせ反社のならず者を国民分断に利用した。
このようにして日本国憲法を制定した国連軍マッカーサーの進駐軍は、アメリカ政府の目論見により日本の中から排除され民主主義が変容をきたす、アメリカの植民地化にすなわち帝国の属国の地位に日本の主権者が貶められる。
パウロが主に哀願したように、同邦御民イスラエルの悔い改めを、世界の平和が御民イスラエルの人々の悔い改めにかかっている。 「何故イスラエルに赦しがうまれないのか」に話が向かった。
隣人との平和は良きサマリア人のたとえのようにイエスによって話されてインマヌエルとしてわたしたちに現れている。ヤーハーの神は絶望した時に人々の祈に答えてことを起こしてくださる。主の時をこの目で見ようではありませんか、平和をひたすら求めて祈りながら。
民主主義は横暴なものの中にあって個人が祈り続けることすなわち神への願いの言葉を持ち続け他者に届け受け入れられることにあるのですから。コモンを形成することすなわちキリストの体を打ち立てることに不偏不党の神の「ただしいひとにもわるいひとにも雨を降らせ善人にも悪人にも日を照らしてくださる。」(公共に)御力の現れにこそ永遠の命がある。
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