昼飯時のNHKニュースに大山町で一家の殺害事件が報道されていた。
雅子は言う「こんな事件は知らないどこか遠い都会で起こるものと思っていたが、身近なところでも起こるのは意外だった。」わたしは「八墓村や悪魔の手毬唄など横溝正史の小説に田舎の村がよくでているのでそんなことは田舎も多かったのでは」と言うと、
今と昔の話題から鯛の値段が昔と比べ安くなったと二人の話題は物価に変わる。「失われた30年ずっとデフレで経済が縮小し続けてるのやなあ。」生活困窮者に高度経済時に当然支援されていた公助が欠乏している。政治の劣化もさることながら経済の基幹である銀行決済システムの不都合も雅子が働いていたころの全銀協時代には起こらなかった。
天然真鯛大の半身の刺身が1千2百円でダイレックスの魚屋さんで。特大のしろいか二匹も9百円数日美味しく戴ける。いろいろと変わってゆく日本で好い事もある年金生活者にとってデフレ経済は悪くないむしろ物価が上がらず年金で生活ができるので有り難い。
誰の目前にも不偏不党の審判者がすなわち誰にもみられ誰にも知られる公共の場に不在であることが悪をのさばらして増大させている。こんなときは昔の人々なら世界の人々の良識の腑である国連にもっと救いを求めて(祈って)いただろう。現代人も不偏不党の神に救いを求めて祈ることが、すなわち世界中で(ComonSence)の現れを希求する人々に神からの英知を得るために祈ることが必要であるのは言を俟たない。祈りは(英知の言葉を)久しく待ちにし人々へ天(創造者)から贈られるクリスマスのようです。
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