2017年12月24日日曜日

それぞれのメリークリスマス


悠子はクリスマスのパンを焼き、


花帆ちゃんは、遊びに夢中。


合間をみてクルルンの主婦供と博多のBABYシティにそろってお出かけしました。


一番楽しいのはクリスマスツリーのまえ。



夫は仕事から帰り、花帆ちゃんも眠り、やっと夫婦の時間。





大山の森も夫婦で美味しく御馳走をいただいています。




今宮さんから広島の新鮮な牡蛎を戴く。





食事の前、良き隣人に恵まれたことを主に感謝する。






よきサマリヤ人はわたしたちにとっていのちを永らえることができる
主のご栄光の出来事。


同じようにそれぞれのところで開催されるクリスマスパーティも
クリスマスの栄光の現れる時。


ルカ2章8-11

 

主の栄光のあられる前の羊飼いたちは野宿しながら暗い夜を過ごしていた。



平凡な日常を生きるわたしたちの暮らしも栄光の光に照らされるまでは野宿する羊飼いに似ている、


クリスマスは人々が主の栄光に出会う時、人は天来の善と知恵(真実)に照らし出される時。


それぞれに希望が湧いてくる。


主の栄光はエリコの街道を歩く旅人を照らした善きサマリヤ人に似ている。


大山の森から熊取駅に降り立ったわたしと雅子を迎えてくれた友人の親切と同じだ。
わざわざ若葉までおくってくれた。



26回目のクリスマスプリティコンサート。


大山に帰る熊取駅で学童時代の西村さんに出会う。
お元気、お久しぶり。
喜びが自然と湧いて来る不思議。


人がよきサマリア人に出会い、命を永らう。これは永遠の命の祝福の源。
あなたも行って良きサマリア人のようにしなさいと。
ナザレのイエスのみ言葉。



プリティコンサートの
メッセージの中で南海トラフのひずみによる地震について触れていた。
防災危機管理マニアルを越え人では防災不能、予防できない被害が甚大である。


そんなとき、究極の人が暮らす場が暗い時、
天来の希望が生まれて来るのはどういう時か。

   主は、御言(みことば)をきびしくまたすみやかに、
   地上になしとげられるであろう」。

   「もし、万軍の主がわたしたちに
   子孫を残されなかったなら、
   わたしたちはソドムのようになり、   ゴモラと同じようになったであろう」。



シオンの娘は残された。あたかもぶどう畑の小屋のように、きゅうり畑の番小屋のように、包囲された町のように。  もしも、万軍の主が、少しの生き残りの者を私たちに残されなかったら、私たちもソドムのようになり、ゴモラと同じようになっていた。



残された者は単に滅亡を免れた震災に残った者ではありません。災いから救いを受けた復興の民の共同体です。


復興の民の共同体は、残されたお互いが善き助け人です。


クリスマスパーティのように自由に集いともに一致した時を楽しむ隣人の顔が
そこにあります。


羊飼いの夜番の暗さの中にも震災の暗闇の現実の中にも、主の栄光が周りを照らしたので/クリスマスパーティ/共同体に希望が生まれるのです。



あなたの現実の中に希望、飼い葉おけにみどりごを見つけ出すことができますように。





ガーデンプレイスは30日まで営業すると言っていた。


いのうえ豆腐さんは今日まで、


良いお年をね、と言葉をかけられた。


隣人がわたしの回りにいて、ことばをかけてくれるということは恵みです。


二人でも三人でも心ひとつにして主のみ名を呼び求める時
主の栄光は現れる。


あなたがたはわたしの名によって集まる時わたしもそこにいるからです。


ナザレのイエスのみ声が大山の森に聞こえてきます。
今日はクリスマスイブ。
雅子と大山ロイヤルホテルでクリスマスディナーを予約している。



クリスマスプリティコンサートでたくさんのお土産をいただきました。




みんなで合唱したクリスマスソングは人々の声が一致した時素晴らしいハーモニーを奏でる。この経験は天使たちの栄光と等しい地上の人々の栄光だと感じました。


「天のいと高きところには神に栄光あれ、善意の人には地に平和あれ」

 

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