2012年9月18日火曜日

婦人たちの口から述べ伝えられた生きたことば



母をトイレヘ、今日は目を開けて歩いているので写真を撮る。





もう食べる意欲はほとんどない。傾眠の生活。
それでも母はホライズンヘ、わたしと雅子は母を送った後
鍛冶留津宅の家の教会へ行く。



私たちが一番乗り・・・・・・・。




松田のおじさんが優しく迎えてくれる。
写真のご婦人たちが福音を携えて日本に来た宣教師たち。






アメリカから占領軍とともにきた彼女たちはアメリカの国策に乗じ日本のあたらしい国づくりの計画に知らず知らずに宣教の情熱が利用されたかも知れない、そんなことは問題にならないほど若くキリストへの情熱があふれていた。






彼女たちならずとも、イザヤはバビロン捕囚地で同朋への励ましが、パウロがイスラエル人のみならず異邦人へもイエスにある神の義を語ったことが・・・・・・・ひとにはそれが何をもたらすかはわからないのにかかわらず・・・・ 人(信仰)が口から述べ伝えられた言葉が真実、実を結ぶのです。






主はすべての計らいごとを、をも変えることができる方である。
ひとにはできないことでも神にはできるのです。






和歌山聖書教会の献堂式が婦人たちの口からのべ伝えられたみことばが今も生きて働いていることを証しています。







今わたしは
日本の戦後の復興と民主主義の発展の基礎にわたしの国にかかわった人々の愛に・・・・・・・・きづく。


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