2013年1月11日金曜日
掃除機の贈り物
悠子から掃除機が贈られてくる。
ダニエルが怖がらないか心配だとコメントがある。
母は昨日からホライズンヘ
雅子が説明書を見て使えるようにセットしています。
動き始めたらダニエルがどうするか見ものです。
あたらしい歳を迎えてホライズンで、父と会って夫婦を確認する。
愛を確認したのかどうか解らないが、わたしは嬉しく思う。
母の介護は父のためでもある。
ホライズンに通ってくる母を父が楽しみに待っているからです。
父の楽しみが、母の命によって保たれている。
介護するものに幸せが満ち溢れてくる。
家族から捨てられた父が父を捨てた母によって癒される。
このことは母によるものではなく不思議な出来事によるのです。
人は出来事を解釈します。
どのようにも人は解釈できますが真理は人に自由を与えます。
悠子にメールをしてます。
優れものです。
ダニエルはいつも掃除機を怖がるのに興味を持っています。
2013年1月9日水曜日
2013年1月8日火曜日
Chateau Lanessan
脳内出血による高次脳機能障害がある母はいとうまもる医師の
訪問診療を受けて自宅で生活しています。
火木土と週三日ホライズンのディケアーサーピスでも生活しています。
母がホライズンへ行くと父が入所しており、夫婦で過ごしています。
食事は介護がいりますが、自分で食べたり飲んだりできます。
排便排尿は、トイレでします。ただし尿については不定期のため
おしめが必要です。
人格は脳によるところが大ですが、母を見ていると
脳機能障害がまた一つの人格になっているようです。
だから人格の定義はあらたに必要になります。
だれも人格は自分ではわからないのではないかと
思うようになりました。
人格は他者によって認められるのです。
私たちは他者によって価値観が保持されているようです。
人はわたしにとって他者ですが、イエスも私にとって他者です。
イエスが他者を代表しているのです。
ワインとイエスの血と結びつけてワインを飲むのは軽率ですが。
ワインを飲むたびにイエスの流された血をわがものとすることは
言い逃れでしょうか。
わたしはイエスの血はワインが受け持っているのは、葡萄酒の
特性にあるように思えるのです。
深紅の色と、香りと、酔い心地です。
幸せにはいろいろあるのでしようが、食事のワインによる酔いに
幸せを感じるのは、神の祝福に似ているのではないかと思えるほどだ。
然し、酒に酔うよりか、聖霊に満たされる方が至福感があると
聖書にあります。
聖霊に満たされて喜びの人生を送る人は幸せです。
きっとワインと同様、その人のそばに他者の満足した顔がともに
あることでしょう
2013年1月6日日曜日
聖餐式
母とダニエルを残し貝塚聖書教会へ行く。
『和解を受けた特権』 説教しています。
私はイエスの肉と流された血はクリスチャンにとって特権として
治まっていてはならないと思っています。
勿論、恵みはわたしに与えられているのですから、私個人のものです。
然しこれは特権ではありません。
なぜなら私に与えられた恵みは 他の人に分け与えられるものだからです。
一人の人の恵みは、その人の特権としてはならないのです。
なぜなら主イエスは命を人々に分け与えられたからです。
この流された血は多くの人たちが恵みによって、
神を知るためのものだからです。
特権などと言う言葉は欺瞞です。
イエスの命はもちろん私のためであるが特権としてはなりません。
他の人のためにも与えられているのです。
それではどうなりますか、
人権≪イエス(神)が血と肉で贖った≫
権利を宣べ伝えるものとなるのです。
福音とはこのことです。
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