脳内出血による高次脳機能障害がある母はいとうまもる医師の
訪問診療を受けて自宅で生活しています。
火木土と週三日ホライズンのディケアーサーピスでも生活しています。
母がホライズンへ行くと父が入所しており、夫婦で過ごしています。
食事は介護がいりますが、自分で食べたり飲んだりできます。
排便排尿は、トイレでします。ただし尿については不定期のため
おしめが必要です。
人格は脳によるところが大ですが、母を見ていると
脳機能障害がまた一つの人格になっているようです。
だから人格の定義はあらたに必要になります。
だれも人格は自分ではわからないのではないかと
思うようになりました。
人格は他者によって認められるのです。
私たちは他者によって価値観が保持されているようです。
人はわたしにとって他者ですが、イエスも私にとって他者です。
イエスが他者を代表しているのです。
ワインとイエスの血と結びつけてワインを飲むのは軽率ですが。
ワインを飲むたびにイエスの流された血をわがものとすることは
言い逃れでしょうか。
わたしはイエスの血はワインが受け持っているのは、葡萄酒の
特性にあるように思えるのです。
深紅の色と、香りと、酔い心地です。
幸せにはいろいろあるのでしようが、食事のワインによる酔いに
幸せを感じるのは、神の祝福に似ているのではないかと思えるほどだ。
然し、酒に酔うよりか、聖霊に満たされる方が至福感があると
聖書にあります。
聖霊に満たされて喜びの人生を送る人は幸せです。
きっとワインと同様、その人のそばに他者の満足した顔がともに
あることでしょう
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