2013年1月8日火曜日

Chateau Lanessan



脳内出血による高次脳機能障害がある母はいとうまもる医師の
訪問診療を受けて自宅で生活しています。





火木土と週三日ホライズンのディケアーサーピスでも生活しています。
母がホライズンへ行くと父が入所しており、夫婦で過ごしています。




食事は介護がいりますが、自分で食べたり飲んだりできます。




排便排尿は、トイレでします。ただし尿については不定期のため
おしめが必要です。




人格は脳によるところが大ですが、母を見ていると
脳機能障害がまた一つの人格になっているようです。





だから人格の定義はあらたに必要になります。

だれも人格は自分ではわからないのではないかと

思うようになりました。





人格は他者によって認められるのです。





私たちは他者によって価値観が保持されているようです。





人はわたしにとって他者ですが、イエスも私にとって他者です。




イエスが他者を代表しているのです。




ワインとイエスの血と結びつけてワインを飲むのは軽率ですが。
ワインを飲むたびにイエスの流された血をわがものとすることは
言い逃れでしょうか。



わたしはイエスの血はワインが受け持っているのは、葡萄酒の
特性にあるように思えるのです。




深紅の色と、香りと、酔い心地です。




幸せにはいろいろあるのでしようが、食事のワインによる酔いに
幸せを感じるのは、神の祝福に似ているのではないかと思えるほどだ。



然し、酒に酔うよりか、聖霊に満たされる方が至福感があると
聖書にあります。




聖霊に満たされて喜びの人生を送る人は幸せです。
きっとワインと同様、その人のそばに他者の満足した顔がともに
あることでしょう







 

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