2015年12月8日火曜日

嬉しい便り



朝風呂から帰ると、わたしに、良い松葉蟹が入ったのでまた連絡すると言って電話が切れたと雅子から報告がある。




キリスト教と公共性「アーレントの公的なものを巡って」今出敏彦氏の論文を読んでいると
露天商の烏賊焼きそばの携帯からわたしの携帯に呼び出しがはいる。



今境港で仕事中だが、あんたに頼まれていた生蟹と刺身によいはまちが手に入ったから、途中の寿城までもっていくからそこまで引き取りにおいでとのこと。



喜んで寿城におりてゆき、今日の昼ごはんとなる。




もう雪が解ける春まで合われないと思っていたのに、嬉しい便り。



早速、焼き蟹と鍋でいただきました。




鳥取に来て松葉ガニを食卓で食べられないとつまらないと雅子と話していた矢先

新鮮な蟹に堪能する。



ダニエルはあまり蟹には興味を示さず、

雅子曰くおねだりしてももらわれないのが解っているから、



大人しくしています。



悠子たちが訪れた時湯豆腐と、紅ズワイにしようと思っている。

また、おじさんに連絡すれば寿城までもってきてくれるだろうか。





蟹を巡る約束に、アーレントの公的なものを巡って」今出敏彦氏の論文から面白いアーレントの言葉にハイライトをつけた。

「生を営む為には、赦しと放免が必要であり、人々を、彼らが知らず に行った行為から絶えず解放しなければならない。人々は、このように自分の行った 行為から絶えず解放されることによってのみ、自由な行為者に留まることが出来るの である」(HC,p.238)。






  自分の明日さえ分からず、しかも自分の行為の結果を予見することすら出来ぬ我々 にとって救済をもたらすのは、約束する能力である。

「約束の履行に拘束されることが なければ、我々は、自らのアイデンティティを維持することが出来ないであろう。我々 は、頼るものも、進む方向もなく、各人が孤独な心の暗闇を彷徨うべく運命づけられ、 矛盾と曖昧さの中に捕縛されるからである。

この暗闇を追い散らすことが出来るのは、 他者の存在によって公的領域を照らす光だけである。何故なら、この他者は、約束す る人とそれを実行する人とが同一人物であることを確証するからである」(HC,p.240)。




約束について、蟹を届けてくれる隣人のいることは、また私も隣人に対して同じ約束をはたすものであると信じられている二重の嬉しさを、冬の味覚とともに味わった。




 

2015年12月6日日曜日

メリークリスマスをむかえて



アドベントの季節を森の中で過ごしています。

浩治に電話を入れると父親は肺の炎症と内臓の疾患が治まり

一命をとりとめて緊急病棟から一般病棟に移っているとのこと。



教会では父のために引き続きイエスキリストにある永遠の命に生きられることを祈っていてくれています。




森の夜は昨夜は暖かく5℃、その前は3℃。

暖炉をつけて暖かくして過ごしています。




鳥居さんに薪き割り斧を見せて頂きAmazonで取り寄せる。
グレンスフォシュブルークス (GRANSFORS BRUKUS) 大型薪割り 442

御蔭さまで直径40㎝程のアカマツさえ簡単に割ることができるようになり暖炉に合う薪を用意できました。





















今朝、藤川さんが手作りのアップルパイをもってきてくださり、朝食に頂く。





大山ロイヤルホテルの露天風呂に雅子とわたしは毎晩車で入りにゆく。

肩と痔の病があるわたしは朝も食後に入る。


温泉につかると万病に効くと言われるが、そんな気がする。

体を温めるのがいいのだろう。




雅子と、ダニエルと連続テレビあさがきたの始まる頃に朝食をいただく。







日曜日は午前10時半から貝塚聖書教会では礼拝が始まっているが私たちはユーチューブに掲載されるのでそれからになる。



Amazonで雅子はパジャマをわたしは車のカバーとアウグスティヌスの愛の概念ハンナ・アーレントを買った。

宅急便やさんとも親しくなった。



ダニエルの散歩は土曜と日曜日はガーデンプレイズに行商人が来るので井上豆腐の揚げドーナツが食べられるので、果然二人はハッスルする。


烏賊焼きそば屋さんはもう春まで来ない。
親しく話をする人がまた少なくなる。



隣人がいることは私たちにとって恵み。



クリスマスは誰れかれなしに良き隣人となられるナザレのイエスの誕生をともに賛美し、良き隣人に心から感謝を贈る聖なる始まりの日、誰の目も地上に良き隣人の姿(神)を見る(知る)ことができる。

誰がこの人の隣人になりましたか、あなたも行って同じようにしなさい。

神は実にそのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。 それは御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。 (ヨハネ3:16)



わたしは永遠の命に母の看取りの時から興味があり、ずっと考えていた。

アウグスティヌスの愛の概念にアーレントが面白い言葉を残しているので読みたくなった。



隣人が世界内に存在するのは、決して偶然として理解されてはならない。



私はアーレントの言葉の世界内を聖書にある世としてとらえる。
イエスの誕生は偶然ではなく神がお与えになった必然。
奇跡/必然である。
愛は他者と出会う世界内の出来事、かかわりの中でひとは自分を知り真実を得るという知恵の不思議・知恵の公共性が聖書に記されている永遠の命・・・ではないのだろうか今わたしのなかで芽生えています。




 

2015年12月2日水曜日

冬いちご



三日前久保さんはアカマツの大樹を伐採した。


雪の倒木で隣近所に被害を及ぼすことを避けるためだ。

その時立ち話で、手に積んでいた野の赤い実にダニエルとわたしは足を止める。




ジャムをつくるために摘んでいるとのこと。

ひとつまみ頂くとグミのような味がした。




久保さんが柚子を手土産に午後のお茶に訪れた、

わたしたちの庭にも自生の冬イチゴが実っているのを見つけて知らせてくれる。




夕日が落ちて、妙なる調べ。


グロウ オゥオー グロウ  オゥオー グロウ オゥオー グロウオゥリア


Gloria in excelsis Deo


あめからのマナを私たちにも。



今日は小春日和で暖かいが明日は摂氏五度。

気温がどんどん下がってきます。




部屋のなかの雅子とダニエルとわたしにメリークリスマス。

悠子は出張先で六本木ヒルズからメールを送信してくれた。



大山の森にも、東京の街にも

メリークリスマス。