2026年5月24日日曜日

大山Gビールとペンテコステ礼拝



土曜日(23日)大山Gビールが届く。India Pale Saison
ベルギーのスタイルであるセゾンにアメリカ産ホップ「シトラ」をドライホップ、柑橘香と爽やかな苦味を加えてフルーティと苦味のある爽やかな飲み心地を味わえる。






聖書と祈り会でローマ1章を聖霊により話し合った。
わたしは、死海文書にエノク書があったがなぜ聖書の聖典として現在に残されなかったのかよくわかると言った。
堕落天使について聖書に書かれていてエノク書を読めばより内容がわかるのにそれでも聖典に神は選ばさなかったのは、わたしの感覚であるが、詩が欠けているように思える。




聖書に神を誉めよ、詩と賛美と霊の歌をもってとあるようにまごころから(詩と音楽にある純粋さの美)でもって神をほめたたえる霊がない、すなわちエノク書には神の愛が欠如しているのだ。

パウロはローマ人の手紙でローマの人々とまだ出会っていないのになぜローマの人々がイエスヘの信仰があると分かったのだろうかということ、伝言によりパウロの耳に入るローマの人びとに神への愛を感じていたのだと思う。

かつてイエス・キリストの弟子たちを迫害していたパウロが、神の愛によって変えられ、見知らぬ人々に熱烈な愛と慰めの手紙を書いたこと。そしてその言葉が今もなお私たちに神の愛を伝えていることこそ、そこに聖なる霊(聖霊)が働いている何よりの証拠だと言えます。 






中国産鰻と宍道湖の蜆と熊本のイチゴと雅子が欲しがったデラウエアを今日の昼の食卓に。





そして今日、ペンテコステの主日礼拝に
久留米キリスト教会の使徒言行録2章聖霊の降臨 酔っていないのにヨエルとは 
貝塚聖書教会テサロニケの信徒への手紙第一5章霊の火を消してはならないと
ローマ書にある霊によって生きる『聖霊』との関わりに思いを巡らせた。







「ペンテコステ」と言う言葉はギリシャ語の「ペンテーコステー」に由来し、「50番目」を意味します。これは復活祭(イースター)から数えて50日目に祝われることから名づけられました。日本語では「聖霊降臨日」や「聖霊降臨祭」とも呼ばれます。この日はイエスの昇天後に弟子たちが集まって祈っていたところに聖霊が降った出来事を記念する日とあります。





このことは旧約聖書の時代から預言者によって
ヨエル書3章 終わりの日に 「すべての人に神の霊 (聖霊) が注がれる」という預言がされていました。







昨日から今日までの聖句を重ねることによって見えだすことがあります。
それは人々への共通な恵み、すなわち世への愛(神の普遍性)




使徒言行録2章

そこでぺテロは彼らに答えた。
『悔い改めなさい。そして、それぞれ罪を赦していただくために、イエス・キリストの名によってバブテスマを受けなさい。そうすれば、賜物として聖霊を受けるでしょう。』

ペテロの宣言は聖霊による救いの平等性。を明確に示す重要な言葉です。







ローマの信徒への手紙1章

福音は「ユダヤ人をはじめギリシャ人(異邦人)にも、すべての人に救いをもたらす神の力である」
救いが民族の枠を超えて普遍的である。


旧約聖書にあるヨエルの預言はイエス・キリストによって現実した。
「主の御名を呼び求める者は皆救われる」身分、性別、年齢、国籍に関係なく、(神を求める)
すべての人に救いと聖霊の恵みが注がれます。  アーメン




テサロニケの信徒への手紙一 5章
主の再臨の日に備えて
(神)に絶えず祈り続ける(霊の火をけしてはならない)。

心は燃えていても体は弱い、イエスさまが指摘されたように弱い個人が聖霊とともに暮らす生き方を示しています。

自力に頼らなく主の贈り物であるの聖霊に頼ること、ただ感謝して喜んで祈り戴くのです。
聖霊は個人の努力で勝ち取るものではありません、神さまからの無償の(世への愛の霊の)贈り物です。
わたしたちの祈りは聖霊を受け取る(聖なる肉体の)行為です。

信徒たちと一緒になって、すなわち共同体として豊になる人の生活の課題に取り組むように促されています。

悪を遠ざけること。共同体に対して脅迫したりせず励ましの言葉を語ること。これらは人々の生活に起こってくる出来事を一緒に考え(霊の知恵を出し)、それぞれの祈りを持ち寄り吟味し共同体が平和に美しく機能することに必要な行為です。逆に人々は豊かな恵みを共同体から受けるのです。

共同体が輝き続けるためには薪をくべる必要があるように、新しい炎新しい人々を迎え入れ共に祈り合えることを主に感謝するのです。人々の顔に喜びが 湧いて来ます。
  






それゆえ人の暮らしである政治がどのように堕落し同朋の裏切りによって世界の人々の間に争いが増して正義と公正が片隅に追いやられて人々の愛が冷めようとも、
神の救いの普遍性とその恵みに信頼する
(ナザレのイエスとともに今日を生きる)人々の祈りは、
自由の御霊・神の愛(聖霊)による美しい復活の力(すなわち神の業は)、
世に命をもたらさないわけはありません。

復活のあなたは世にいるだけで他の人々の力、良き隣人となっているのです。
























わたしたちと共に厳しい大山の冬を過ぎ越し白く咲く自生のやまゆりが芽生えてきました。



賛美歌「麗しの白ユリ」
冬枯ふゆかれのさまより 百合しろき花野はなのに
いとし子ごを御神は 覚さましたもう今なお
うるわしの白百合 ささやきぬ昔を
百合の花 百合の花 ささやきぬ昔を




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