2026年3月8日日曜日

三月の雪と主の日

 昨日の昼食の時は大山の森は雪ひとつない穏やかな日、それが雨になり雪になる。





今日の朝は雪の中に目覚める。


今日の午後はわが家で聖書と祈り会がある。
前回北尾の奥さんが世を支配しているのはサタンであるという証がずっと心に留まっていて創世記1章2節を考え続けていた。

何故なら
あなたは私(神)の眼には高価で貴い、私はあなたを愛している(神)の命で贖うほどに。イザヤ43:4の成句にわたしの心が留まるからです。


今日の午前中貝塚聖書教会の主日礼拝にユーチューブで参加する。

宣教成句
ゼカリア書11章12-13節 マタイによる福音書26章15節
『 「値積もりされた人の代価」 、貝塚聖書教会では人の代価とあるがわたしはむしろおごり高ぶる人たちの神の値踏みとも思える』イエスは奴隷一人の値段と同じ程に値付けられ売られたと贖い主をマタイは捉えている。



悠子からバレンタインのお返しが届いたというお礼の便り。






雅子とチー君の明日の誕生日で話題が盛り上がる。



すっかり雪で部屋は囲まれてしまった。



 届いた!
ありがとう!
花帆ちゃんが今体操いってるから戻ってきたらまたあけて連絡します! 
ちーくんは貰えずお預け今日ちーくんのお誕生日会



マカロン届いたんだ。チー君おめでとう。ハートがない。赤いハートがあったのに。
 ひとつハートのあった!



良かった。チー君の誕生会にローソクのついた丸いバースディケーキでお祝いしてください。
また誕生会の写真送ってね。雅子と楽しみにしている。
こちらは大雪。



北尾の奥さんへの私の証を今日の聖書と祈り会の前に書き留めておこう。
創世記1章2節の地は混沌であって、闇が深淵の面にあり、神の霊が水の面を動いていた。

地が「混沌(形がなく、茫漠)」であり、深淵(大水)が闇に覆われていた、そのカオスの中で神の霊が水面を動いており(「覆っていた」「吹きわたっていた」とも)。

地は混沌 闇 深淵 神の霊 水の面 動いていた について。どのように聖書の個所を表現しているのか調べてみた。

聖書の一章二節の日本語訳を調べてみると
地は形なく、むなしく、闇が淵のおもてにあり、神の霊が水のおもてをおおっていた。
地は形も定まらず、闇に包まれた水の上を、さらに神の霊が覆っていた。
地は形なく、むなしく、やみが淵の面にあり、神の霊が水のおもてをおおっていた。

混沌と闇(ヘブライ語:tohu wa-bohu):形が定まらず、何もなく空虚、虚無的な状態。
深淵の面(tehom):原始的な大水、原始の大洋を示す
宗教的な意味としてTehomが創世記1章2節の深淵を意味するように、神話的背景として:メソポタミア神話の海の女神「ティアマト」と同源のことばとされ、混沌や宇宙的な深淵を象徴します。

神の霊(ruach elohim):「神の風」や「神の息」とも訳され、活発に動いている命を吹き込む、創造的な力・息吹。
文脈1節の「天地創造」の後の、具体的な秩序づけ(3節の「光あれ」)の直前状態

この個所は、すべてが神の恵みと力によって、混沌から秩序へと変えられる創造の始まりを伝えています。

それゆえ創世記一章の神の創造は初めに神は天と地を創造された神の創造された地は闇と神の霊が深淵(虚無]むなしい)水の面に覆う動いている状態であることになります。

わたしたちは認識しておかなければなりません。闇を司るサタン惑わすものの存在も創造の初めから地に神の霊とともに動いていたことからサタンを捉えておかなければなりません。

神の霊については創造の初めから神の創造に共同して一緒に働いていたことが聖書に書いています。


それゆえサタンは地を支配しているという意見は、神の霊が地を支配しているという意見と同じほど正確ではありません闇と神の霊が創造の初めから地を覆い動いているのですから。
それではどうなりますか、私たちは現実を認識する時、光と反する闇についても当たり前に認識することが必要になるのです。久留米キリスト教会の踊牧師は人の納得を得ない出来事に直面して耐える力がいると言っていました。そうですわたしたちの弱い体が恐れや不安に陥ることなく当たり前のこととして当然の認識(CommonSense)に闇と光とともに両方を認識するためには敵と和解させるとりなしの知恵が必要とするのです。真理を得るためにはサタンの惑わしに陥らなかったキリストに倣って聖霊によって祈り続け神の御心の真実を探り当てる忍耐力が求められているのです。







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