2025年5月18日日曜日

主の日

 


悠子は無事久留米に帰還。










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 踊真一郎牧師
   使徒言行録 9章1-19節前半


  メッセージを京都のホテルで聴いて、 
雅子と大山へ帰る。途中わたしは、未来を開かれる聖霊は、考古学的時間感覚で今ある出来事の真理をみっけるようにして下さっていると思った。

未来を大切にして生きる生きかた。すなわち永遠のいのちは  、個人を少なくとも自身の利益に於て、目に見える当面の利益に幸福を得る生き方を凌駕して、  同じ個人の中の利益が世代に引きつがれ生きのび続けられ自身をも祝福する利益(Commonの公益)を喜ぶ個人にSense変容させられる。

現代の世界を席巻している資本投資による効率的利益の追求からは真逆なものだ。


アメリカ型の株主資本主義からCommon大衆の利益、公共益資本主義への転換が人々の暮しの中に起こって来る。なぜなら、未来からの御力は、

聖霊により
当面に利益を生まないモノを切りすてる全世界の経済政策は、まったくナンセンなものと誰もが思えるようになって来るからだ。

御言葉の力である自由の御霊によって
パウロのように目から、(社会的には隣人により)、お互い 鱗を取り除いていただこう。まさに、主よ『民主主義を復活させて下さい』です。






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